【巨人・新人連載】ドラ2萩尾匡也、小3までバスケ熱中「下半身の素早い動きや切り替えは生きていると思う」

スポーツ報知
萩尾は自らのサングラスを外して浅野に渡す(カメラ・今成 良輔)

 未来の巨人を背負うルーキーたちは18日、G球場での新人合同自主トレで汗を流した。スポーツ報知では支配下&育成入団の新人14選手を連載企画「はGめまして」で紹介。第1回は昨秋の東京六大学リーグで戦後16人目の3冠王に輝き、即戦力として期待を寄せられている萩尾匡也外野手(22)=慶大=。その原点は幼少期に夢中になって打ち込んだバスケットボールにあった。

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 物心ついた頃の匡也少年は野球ではなく、兄の影響でバスケットボールに熱中していた。自宅に置いてあったボールで「ずっとやっていました」とドリブルやシュート練習に明け暮れていた。「体育の授業でもそれなりに。『特技』と言っていいかは難しいんですけど」。小学3年まではバスケ少年。しかし、ある日を境に野球へ傾いていった。

 小学3年時に訪れた福岡ヤフードーム(現ペイペイD)。どの部活に入るか迷っていた中で、日本ハムのダルビッシュ(現パドレス)に衝撃を受けた。「当時は全く野球を知らないというか、野球として見ていなかったので。真ん中にすごいかっこいい人いるな~、輝いているな~という感覚。ファンになっちゃったんですよね」とくぎ付けになった。

 小学4年時に入団した室クラブでは投手兼捕手を務め、中学時代に所属した北熊本ボーイズでも投手兼外野手。ダルビッシュに憧れて投手としても上のレベルを目指していた。高校入学後は外野に専念して3年間で通算46本塁打。大学では2年春のリーグ戦から出場し、4年秋に3冠王。不断の努力で進化を遂げ、プロ野球選手の夢をかなえた。

 そんな今、改めて幼少期を思い返す。バスケ経験が現在に生きているかを問われた萩尾は、自身の体を確かめながら分析し始めた。

 「下半身の素早い動きや切り替えは生きていると思う。それと僕の中での感覚なんですけど、遠いところでも投げられる感覚。ある程度コントロール良く投げられるというのがあって。ボールの軌道をイメージして…というのが人よりもいいのかな、と。一番は手首だと思います。そこの強さは身についた気がします」

 外野でボールを追う時の体の動きや送球、また持ち味のバットのヘッドを利かせた打撃にも生かされているという。中学でバスケ部に所属していた阪神の前監督・矢野燿大氏は、スローイング強化を目指す原口に“バスケトレ”を勧めていた。ルールを含めて野球と全く違う球技だが、その動きに通じるものはある。萩尾は大きな武器を持っている。(中野 雄太)

 ◆萩尾 匡也(はぎお・まさや)2000年12月28日、熊本・大津町(おおづまち)生まれ。22歳。室小4年時に室クラブで野球を始め、大津北中では北熊本ボーイズに所属。文徳では甲子園出場なしも通算46本塁打。慶大では2年春にリーグ戦初出場。4年秋に打率4割、4本塁打、17打点で戦後16人目の3冠王。50メートル走6秒0、遠投95メートル。契約金7500万円、年俸1200万円。背番号12。180センチ、85キロ。右投右打。

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