リーグワン・神戸、「1・17」メッセージ動画公開 阪神・淡路大震災から28年「語り継いでいこう」

スポーツ報知
リーグワンの試合へ向けて、全体練習前に円陣を組む神戸の面々。練習場の灘浜グラウンドは28年前の阪神・淡路大震災では大きな被害を受けた

 ラグビー・リーグワン1部の神戸(旧神戸製鋼)は17日、1995年の同日に阪神・淡路大震災が起きた午前5時46分、公式YouTubeなどでメッセージ動画を配信した。動画では当時と現在の神戸の街が交互に映し出され、日本代表FB山中亮平や同プロップ中島イシレリらが登場。「あれから28年。忘れないでいよう。語り継いでいこう。僕らの『神戸』で起きたことを」と訴えかける。

 1995年1月。大八木淳史、平尾誠二ら日本代表選手を擁する社会人王者・神戸製鋼は同15日、東京・国立競技場での日本選手権で大学王者・大東大に102―14で大勝し、新日鉄釜石(現釜石)に並ぶ7連覇を達成。メンバーの大半が翌16日に神戸へ戻り、17日早朝に被災した。当時現役選手だった萩本光威(みつたけ)関西ラグビー協会会長は「優勝して(祝杯をあげ)、三日酔いぐらいで震災がきた。東灘区の社宅に妻子と住んでいて、当時4歳と2歳の息子をかばった時に(揺れで)吹っ飛ばされた」。練習場の灘浜グラウンド(G)は液状化現象で使用できず。再びフル使用できるようになったのは9月。その95年度は全国社会人大会で8強どまり。連覇は7で途切れた。

 同年度で現役を引退した萩本氏が神戸製鋼のヘッドコーチに就任後、99、2000年度の日本選手権を連覇。「再び優勝できたのは選手たちがきつい練習を乗り越えたから。(震災後も)存続されたラグビー部は幸せだと思う」。震災後に生まれた選手が約半数を占める現在のチームは連日、灘浜Gで全体練習に励む。

 同じく震災当時に現役選手だった福本正幸チームディレクター(TD)は「神戸の街や会社、チームが大変だった時、市民の方々、社員がハードワークして乗り越えてきたということを忘れてはならない」と力説する。19年度から続けている動画配信の理由について説明した。

 福本TDは当時のチームのたくましさを知るからこそ、思うところもある。神戸製鋼はトップリーグ創設の03年度と、かつてニュージーランド代表を率いたウェイン・スミス総監督(現在の肩書きはメンター)を招へいした18年度に優勝も、新チーム名「コベルコ神戸スティーラーズ」として臨んだリーグワン創設の昨季は7位。今季も開幕4戦を終えて2勝2敗と苦戦する。「7連覇、震災当時のチームは監督を置かず、平尾さんらを中心に、自分たちで考えて問題を解決してきた。今の選手たちは世界のラグビーを教えてもらえる一方で、主体性を忘れず戦ってほしい」と福本TD。震災を風化させることなく、チームは新たな歴史をつくっていく。

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