甲子園球場に隣接する甲子園歴史館内で15日、来年の甲子園100周年に向けた記念講座「スポーツ王国」が開かれ、丸山健夫・武庫川女子大名誉教授が甲子園周辺の知られざる歴史を紹介した。
甲子園球場を造った阪神電鉄は戦前、あらゆるスポーツ施設を周辺に建設していた。2万人収容の「甲子園南運動場」では、陸上競技のほか、全国高校サッカーや全国高校ラグビーの前身の大会も開催。現在はそれぞれの聖地が「国立」、「花園」だが、当時はサッカーもラグビーも「甲子園」が頂点だった。
水泳も盛んだった。浜甲子園プール、現在のクラブハウス・室内練習場の場所には観客1万人収容の甲子園大プールがあり、球場の一塁側アルプススタンド下には日本で2番目の温水プールもあった。日本の古式泳法からクロールなどの水泳への転換期で、競技の発展に貢献した。
さらに、テニス。1万人収容のセンターコートのほか、練習用のコートが100面もあったという。1930年代の「甲子園」は野球だけにとどまらない一大スポーツ王国だった。
だが、太平洋戦争によって、スポーツ施設は海軍に接収されていく。戦闘機の工場が近くにあり、戦争の拡大とともに、甲子園周辺には滑走路や関連施設が。丸山教授は「戦争がなければ、甲子園はオリンピックができるようなスポーツ王国だった」と残念がる。実は、甲子園球場が、壮大な“王国”の唯一の生き残りなのだ。