自らの名前は最後まで、呼ばれることがなかった。
「あの時を振り返ると、一瞬で終わったなあって。3年間、必死に高校野球をやってきて。でもドラフト会議って、本当に一瞬で終わってしまった感じでした」
2020年10月26日、プロ野球ドラフト会議。度会隆輝は横浜高の職員室で映像を見ながら、指名の瞬間を待ちわびていた。名門校で強打のセカンド。その年の初めからドラフト候補として名前が挙がっていた。
公式戦、練習試合で勝利に貢献する中で、その打棒をプロのスカウトにアピールし、指名を勝ち取る-。例年のドラフト候補がたどってきた道は、新型コロナウイルスによって塞がれた。春夏の甲子園大会は中止となった。春夏連続の中止は戦争による中断を除き、初めてだった。
「甲子園の中止、めちゃくちゃ悔しかったです。一番大事な3年生の時、アピールのチャンスも奪われましたし。やるせないけれども、自分にはどうにもできなかったんで」
プロ志望届を提出した他のチームメートと職員室で待機し、指名があれば報道陣が集うホールで会見に臨むという流れ。しかし、度会がスポットライトに照らされる場面は訪れなかった。
「あの悔しさがあったから、今の自分があると思うんです。絶対にやってやる、絶対に見返してやると思いましたから」
ENEOS監督の大久保秀昭はドラフト前、横浜高の関係者から度会についての情報を聞いていた。プロへの希望が強い一方で、育成は考えていないという。万が一、指名がない場合はウチで…と声を掛けつつ、同社の練習参加を呼びかけた。大久保は言う。
「体は細かったけど、いい打球を飛ばしていました。でもプロに指名されるかなとも思ったので、あまり期待せずに待つような感じでしたね」
ドラフトが終わると、度会は気持ちを切り替えた。ENEOSに行く。社会人の世界で徹底的に鍛える-。
2021年、年頭の挨拶。チーム内で最年少の18歳は、職人肌がそろう猛者を相手に笑顔で頭を下げた。
「度会隆輝です。元気で盛り上げます!」
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あれから2年。度会は20歳になった。昨夏の都市対抗では打率4割2分9厘、4本塁打の数字を残し、優勝の原動力になり、橋戸賞、打撃賞、若獅子賞の3冠に輝いた。走攻守全てにおいてレベルアップし、掛け値なしの上位候補としてスカウトの熱視線を浴びる。
「今の僕があるのは、ENEOSのおかげです。だから、まずはチームの優勝。お世話になった方々や、応援してくれる人に恩返しがしたいんです。そのためにも、打ちたい。去年以上の成績を残したいと思っています」
寒風吹きすさぶENEOSのグラウンド。快活に笑顔で当時を回想する度会と接するたび、「指名漏れ」は絶望ではなく、新たな出会いの始まりでもあると気づかされる。
昨秋のドラフト会議で名前が呼ばれなかった若き野球人がこの春、大学や社会人、独立リーグなどで新たな道に進むことだろう。
そこには一生ものの、人生を変える素敵な“縁”が待っているかもしれない。
だから、笑顔で第一歩を。笑う門には福が来る。勝負は、ここからだ。(編集委員・加藤 弘士)=敬称略=