社会人野球ヤマハのU23W杯優勝コンビ 相羽寛太内野手&中田悠斗外野手がプロ入りへの思い語る

スポーツ報知
日本一奪回を宣言したヤマハ・中田悠斗(左)と相羽寛太

 社会人野球・ヤマハの相羽寛太内野手(20)=静岡高出=、中田悠斗外野手(23)=藤枝明誠高、中大出=が今季ドラフト解禁イヤーを迎える。ともに昨年のWBSC U―23W杯(台湾)に日本代表として選出され、世界一に輝いたコンビ。スポーツ報知の新春インタビューに応じ、金メダルの舞台裏やプロ入りにかける思いについてざっくばらんに語った。(取材・構成=武藤 瑞基)

 ―昨年1年間を振り返って。

 中田(以下中)「入社1年目。大学とは違い一球の重みを感じた。個人としては守備、打撃、走塁すべてでレベルが上がったシーズンだったと思う」

 相羽(以下相)「自分は苦しい一年だった。おととしは都市対抗予選などで結果を出せて、マークが厳しくなる中で2年目に入り、前半戦は結果が出せなかった。ただその中で考えて選手権予選では打率も残せたし、U―23にも選ばれて自信もついた部分もある」

 ―WBSC U―23W杯を制覇。ともに8試合に出場し相羽は3割1分6厘、中田は2割5分を残した。

 中「野球を楽しむって、こういうことなんだって肌で感じた。自分の成績も最終的に優勝した時にはどうでもよくなって(笑い)。めちゃくちゃ気持ちいい、最高だって感じた瞬間でした」

 相「自分も同じ。やっていく中で色んな人と交流して、考えも学んだ。その中で野球を楽しめたのでめちゃくちゃいい経験になりました」

  ―代表活動で収穫は?

 中「僕は日本と違った投手を見られたこと。台湾戦で157キロがガーンと内(角)に来た。だいぶ手前で三振を悟りました。自分の次の打者には159キロ。社会人では体感できない貴重な経験でした」

 ―相羽選手は大会途中から4番を任された。

 相「4番っていう言葉に惑わされないように、つなぐ、自分らしくやればいいかなと思った。例えば韓国の投手は(球を)動かしてくる。そういう投手への対応はいい経験なりました」

 ―石井章夫監督(58)は犠打など小技よりも強く振ることを求めた。

 中「ヤマハも去年はそういう方針。だから代表とすごく似ていて。入りやすかった」

 相「ヤマハでやっていることをそのまま出そう、振ってくぞって2人で話していましたよね。気持ち的にすごく楽だった」

 ―今季、相羽選手は高卒3年目。中田選手は大卒2年目。ドラフト解禁の年になる。

 中「プロはもちろん行きたいし、今年1年の結果が絶対求められる。この外野陣でレギュラーを取れたら(プロが)グッと近づく。チームを勝たせるために精いっぱいやっていく」

 相「まずはこのヤマハの中でしっかりレギュラーになること。それから上位を打てるようになること。そこからのプロ。目の前のことを一生懸命やることに集中していきたい」

 ―去年の個人的成長は?

 中「僕はヤマハに入って野球をゼロからやっているような感覚でした。今までは当てる、いわゆるちょこちょこ系だったんですけど、フルスイングが持ち味になった」

 相「高卒で入って体も小さかったので、体をつくるところから。身長は変わってないですけど、体重は7、8キロ増えました」

 ―現状の課題は?

 中「今年は打率が低かった(2割3分)。そこを安定させないと。捉える率を高めるスイング改善に取り組んでいます。年間通じて3割いきたい」

 相「自分はパワー。去年はフェンス前で失速する打球が多かった。それを全部ホームランにできるパワーを付けていきたいです」

 ―昨年、都市対抗は初戦敗退。日本選手権には出場できず。チームとしてどう巻き返す?

 中「日本一を視野に入れてやっている。(同地区の)トヨタも去年(日本選手権を)取りましたし、燃えています」

 相「一番の目標は日本一。若手がどんどん出ていかないといけない」

 ◆相羽 寛太(あいば・かんた)2002年9月21日、森町生まれ。20歳。小学1年時に青葉少年野球団で野球を始め、磐田ボーイズを経て静高入り。19年夏の甲子園は1回戦・津田学園(三重)戦に1番・遊撃で先発。2年秋から主将。21年、ヤマハに入社。178センチ、80キロ。右投右打。家族は両親と兄。趣味は映画観賞。

 ◆中田 悠斗(なかだ・ゆうと)1999年7月24日、静岡市生まれ。23歳。興津ドラゴンズで野球を始め、東海大静岡翔洋中から藤枝明誠高へ。3年夏には主将として甲子園に出場。中大を経て22年にヤマハに入社。182センチ、80キロ。右投左打。家族は両親と兄。

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