当日変更なしで優勝に挑んだ創価大 箱根駅伝特有の「当日変更」と「偵察メンバー」を考える

スポーツ報知
創価大10区・石丸惇那

 第99回箱根駅伝(2、3日)は、駒大が往復路を制し、2年ぶり8度目の優勝を飾った。同時に史上5校目でチーム初の学生駅伝3冠を達成した。最多14度の優勝を誇る名門の中大が2位と躍進。前年覇者の青学大は3位だった。

 伝統の継走は今回も多くのドラマを生んだ。往復路ともにスタート前に早くもひとつのドラマが始まる。それが「当日変更」だ。

 箱根駅伝は例年12月10日に各校16人が登録され、同29日に1~10区と補欠6人の登録が行われる。往路、復路ともにスタート時間(午前8時)の1時間10分前の午前6時50分に補欠選手を起用する当日変更が可能(一日4人以内)。主力選手を補欠に登録し、勝負区間に投入するなど各校が様々な戦略を練る。他にも危機管理という意味もある。区間登録選手同士の交代はできないため、2区登録のエースにアクシデントがあった場合に備え、主力選手を補欠登録しておくことがセオリーだ。

 主力選手が当日変更で出場する以上、出番がなくなる選手がいる。欠場が前提で区間登録される選手は「偵察メンバー」と呼ばれる。すべての監督が偵察メンバーについて「申し訳ない」という思いを抱いているが、チームのために心を鬼にして当日変更を行う。

 今回はオープン参加の関東学生連合を含め、各チームで平均3・57区間で当日変更が行われた。17位の日体大と19位の国士舘大は上限の6区間で当日変更した。

 その一方で8位の創価大、18位の立大、関東学生連合は当日変更がひとりもいなかった。

 大会史上最長となる55年ぶりの“返り咲き”で出場した立大の上野裕一郎監督は大会前に当日変更を行わないことを予告。「偵察メンバーは使いません。実は偵察メンバーの配置の仕方がよく分からないということでもありますけど」と苦笑いしながら話していた。

 オープン参加の関東学生連合は当日変更を行わないことが多い。

 意外だったチームが、創価大だ。激闘が終わった後、ゴールの大手町で榎木和貴監督に真意を聞いた。

 「今回はチーム全員で優勝を目指して堂々と当日変更なしで戦おう、と決めていました。もし、区間登録(昨年12月29日)以降にアクシデントがあった場合、往路は何区でも小暮栄輝(2年)、復路は何区でも吉田凌(2年)と決まっていました。2人ともしっかり準備をしてくれていました。選ばれた10人は、自分の区間のナンバーカードをつけて、思い切り走ってもらいたかった」

 箱根駅伝のナンバーカードには大学名、大学番号(シード校は前年の順位、予選通過校は予選会の順位)、個人番号(区間登録選手は1~10、補欠登録選手は11~16)が記される。例えば、創価大1区の横山魁哉(4年)のナンバーカードは「創価大 7―1」だった。

 ただ、榎木監督は当日変更を否定していない。「第99回箱根駅伝は当日変更なしという方針で臨みましたが、私はこれまで当日変更を行っています(前回は5区間で当日変更)。次の100回箱根駅伝で当日変更を行う可能性もあります。その年ごとにベストの戦い方をします」と話す。

 当日変更のルールは戦後の復活大会から存在している。1964年に中大が6連覇を果たした時のエースで日テレの解説者としても大活躍した碓井哲雄さんは生前「私が学生の当時、すでに当日変更は当たり前のようにあったし、みんな当たり前に受け入れていた」と話していた。

 私も当日変更のルールを否定しない。箱根駅伝を志す学生ランナーは、このルールを真正面から受け入れているからだ。

 32年前、1991年の箱根駅伝(当時、登録14人で12月10日に区間登録が行われていた)。東洋大3年生だった私は3区を走った。4区は4年生の小玉正之さんが登録されていたが、当日変更で1年生の本間喜一に代わった。最下位で本間にタスキをつないだ後、平塚中継所で、疲れ切った体で帰り支度をしている時、本間の付き添い係を務めた小玉さんが号泣している姿を見た。秋田出身の小玉さんを応援するため、はるばる平塚まで来てくれた恩師の前で小玉さんはボロボロと涙をこぼして泣いていた。私は声をかけられなかった。

 結局、その年、東洋大は最下位で終わった。埼玉・川越市の選手寮に戻り、同部屋だった本間に「小玉さん、大泣きしていたな…」と話しかけると、彼は驚いた。「小玉さん、朝から、ずっと明るく僕の付き添い係をして、励ましてくれていましたよ」

 次は私が驚いた。自分の代わりに箱根駅伝を走る後輩がスタートするまで悔しさを表に出さずに付き添い係に徹し、後輩がスタートした後、初めて感情を表に出したんだ、ということを知った。当日変更で出番がなくなった選手の意地と誇り。それを実体験として知った。

 卒業後、スポーツ報知の記者となり、30年、箱根駅伝を取材しているが、当日変更で出番がなくなって「なぜ、僕が出られないんですか?」と表立って不満を示している選手をひとりも見たことがない。だれもが悔しくて切ない思いを抱えているのだろうが、それぞれ心の内で悔しさを消化している。

 取材現場で強く印象に残っているシーンがある。

 2019年の箱根駅伝。3区に登録されていた青学大の湯原慶吾(当時1年、現小森コーポレーション)は当日変更でエースの森田歩希(当時4年、現GMOインターネットグループ)と交代になった。それでも、湯原は「今回は偵察メンバーが僕の役割でした。次は走って優勝に貢献します」と真っすぐ前を見据えて話した。その言葉通り、湯原は1年後の2020年箱根駅伝では10区を走り、優勝のゴールテープを切った。

 今回、立大は18位。来年以降に上位、あるいは優勝を狙う力をつけた時、上野監督も偵察メンバーを使う選択をすることもあると思う。チームの勝利のために、榎木監督も上野監督も心を鬼にして当日変更を行うことがあるだろう。

 当日変更について一部では「姑息(こそく)」「外れた選手のことを考えていない」という批判があるが、当の偵察メンバーの選手たちはチームのために、その役割を受け入れている、と思う。昔も今も。

 当日変更で出番がなくなる選手は、当日朝まで出場する可能性を残しているため、諸々のアクシデントに備えて、交代で出場する選手と行動を共にして、付き添い係を務めることが多い。

 今回、計21チームで75区間で当日変更があった。つまり、75人が当日朝に出番がなくなった。偵察メンバーという難しい役割を全うした75人に最大限の敬意を表したい。(箱根駅伝担当・竹内 達朗)

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