【箱根駅伝】駒大・大八木弘明監督退任「29年やって3大駅伝優勝27回。こんな幸せな監督はいない」

スポーツ報知
選手と握手してねぎらう駒大の大八木弘明監督(カメラ・軍司 敦史)

◆第99回東京箱根間往復大学駅伝競走復路 (3日、神奈川・箱根町芦ノ湖スタート~東京・千代田区大手町読売新聞社前ゴール=5区間109・6キロ)

 駒大が10時間47分11秒で2年ぶり8度目の総合優勝を果たし、昨年の出雲全日本選抜、全日本と合わせ、史上5校目の大学駅伝3冠を達成した。往路首位からスタートし一度も首位を譲らず完全V。全区間5位以内でつなぐ選手層の厚さで逃げ切った。レース後、大八木弘明監督(64)は3月限りで総監督へと退く意向を表明。藤田敦史ヘッドコーチ(46)が後任監督となる。来年の100回大会は新体制で史上初の2年連続3冠に挑む。(晴れ、気温4・5度、湿度50%、北北西の風1メートル=午前9時現在=日本気象協会調べ)

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 優勝会見の席で、大八木監督は最後に自ら切り出した。「私事なんですけれども、今年で監督を退きますのでよろしくお願いします。藤田(敦史ヘッドコーチ)と代わります」。突然の発表に、報道陣や駒大下級生の選手たちは騒然となった。

 閉会式後、大八木監督は経緯を説明した。「これが最後、と思って今大会は運営管理車に乗っていました。決めたのは昨年初め。もう65歳。50人を朝から晩まで見るとなると体力的にもね。29年駒沢でやってきて五輪、世界陸上にも選手を出して箱根も4連覇して。3大駅伝優勝27回。こんな幸せな監督はいないんじゃないかな。子どもたちに恵まれた」と孫のように年の離れた選手たちに感謝した。

 かける思いも強かった。父・健さん(享年93)が昨年11月7日に死去。毎夏のお盆に帰省すると、酒を酌み交わしながら駒大のチームについて語り合った。子どもの頃は陸上選手だったといい「今回の箱根だけは頑張りたい、という思いはありました」と喪章をつけて臨んでいた。

 今後は総監督として指導は継続する方針だ。「中国の言葉で『百里の道も九十九里を半ばとする』っていう言葉があるんですけど。100回大会の前の99回で半ば、とし、新たな世界をもう一回やりたいなと思って。世界に通用する選手を育てたい」と実業団のトヨタ自動車に進む愛(まな)弟子・田沢の指導に軸足を置く。「世界陸上や五輪で入賞争いできる選手にしたい」と世界挑戦に注力していく予定だ。

 愛弟子の藤田氏を15年からコーチに招へい。二人三脚で常勝軍団を再興するとともに帝王学も教え込んできた。「自分の好きなようにやってほしい。結構、几帳面(きちょうめん)ですしまじめ。選手との話し合いも上手。できれば史上初の2年連続3冠をやってほしい」。100回大会以降へ。情熱的で粘り強い駒沢の継承を期待した。(榎本 友一)

 ◆大八木監督語録     

 「男だろ!」(教え子の国学院大・前田監督によると00年大会頃から使用)

 「何がガッツポーズだ! トップじゃねぇだろ!」(05年大会=ガッツポーズをしながらタスキを受けた選手に対して)

 「跳べ、跳べ、跳べ、跳べ! 最後の最後だ! 頭から突っ込め!」(14年大会5区=最後の下りで)

 「行け、白バイ、白バイ、白バイを抜け!」(16年大会6区=宮下紘一のスピードが上がらず)

 「テレビカメラ、もう少し前に行って、危ないから!」(21年大会7区=前を走る中継車に向かって)

 ◆大八木 弘明(おおやぎ・ひろあき)1958年7月30日、福島・会津若松市生まれ。64歳。会津工から小森印刷、川崎市役所を経て24歳で駒大入学。箱根駅伝は1年5区区間賞、2年2区5位、3年2区区間賞。4年時は年齢制限のため出場できず。87年卒業後、ヤクルトに入社。95年に駒大コーチに就任し、2004年に監督に昇格。指導者として学生駅伝最多の27勝を誇る。

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