木村拓哉 半世紀の歩みを激白「キムタクと呼ばれるの嫌だった」救ってくれたさんまの言葉明かす

スポーツ報知
主演映画「レジェンド&バタフライ」で織田信長を演じる木村

 俳優の木村拓哉(50)が、このほどスポーツ報知の新春インタビューに応じた。昨年11月に50歳を迎えた希代のスターが、無気力だったジャニーズ事務所入所当時や、「キムタクブーム」の葛藤と喜びなど半世紀の歩みを振り返るとともに、27日公開の「レジェンド&バタフライ」(大友啓史監督)から描く新たな「伝説」について語った。(取材・構成=田中 雄己)

 一瞬にして、空気が張り詰めた。ブラックスーツをまとった木村は「よろしくお願いします」と頭を下げたが、表情は崩さず。笑みもない。シャッター音に合わせ、瞳には力が宿った。この紛れもない「オーラ」は、戦国武将・織田信長にも通ずるものだろう。最新作「レジェンド&バタフライ」では、時代劇に初出演したTBS系ドラマ「織田信長 天下を取ったバカ」(1998年)以来、25年ぶりに信長を演じた。

 「あの頃の自分には彼の才気は、整っていなかった。今の自分でようやく彼の一部分ではなく、人生の全貌(ぜんぼう)を表現できるようになった」

 運命か、偶然か。信長が生涯を閉じたとされる年齢と同じ49歳で「本能寺の変」のシーンを撮影した。

 「ま、それは偶然だと思うんですけど」。撮影の日々を思い返すように右斜めを見上げ、わずかに目尻を下げ、頬を緩めた。

 「(戦国時代以来442年ぶりに惑星食と同時に)皆既月食が起きたり、自分の家の家紋が(織田家と)一緒だったり『なんじゃこれ』と思うことが重なって。だからね、(昨年11月の)『ぎふ信長まつり』に参加させていただいた時、半分以上腹くくっていたんですよ」

 思いもよらない言葉に、その意味を聞き返した。

 「何があってもいいように。あれだけ多くの人が一堂に会したら、何が起こるか分からない」

 イベント1週間前には、韓国・梨泰院(イテウォン)の雑踏事故が起きたばかりだった。

 「撮影中もずっとそうだったんですけど、さらしを巻いてもらっていて。画角には一切入らないですけど、儀式の一つとして。『信長まつり』の支度をしている時に思いましたよね。『ああ、このさらしを巻いておけば、致命傷を免れるかもしれない』。いろいろなことが重なっているだけに、もしかしたらこの地で、この格好をしたまま…ということは考えましたね」

 「死」すらも脳裏によぎった「信長まつり」は2日間で62万人が集まり、無事に終わったが、その覚悟は本作にも共通する。「魔王」と呼ばれた晩年の信長の姿を演じた木村は、狂気に満ちていた。

 「(綾瀬はるか演じる)濃姫に出会い、彼は天下を意識するようになって。ただ扉を開けてみたら、素晴らしい景色かもしれないですけど、それを望むにはいろいろな弊害や障害があって、殺(あや)めなければいけない命もあって」

 「アイドル」「俳優」で頂に上り詰めた木村本人にも当てはまる気がした。信長と同様、若かりし頃は“うつけ”だった。

 87年11月。親戚が履歴書を送ったことで事務所に入所したが、本意ではなかった。やる気もなかった。

 「どこどこに何時集合と言われても行かないような人間で。『なんで行かないの』と聞かれても『つまらないから』なんて言っちゃって」

 濃姫のように、道しるべとなったのは蜷川幸雄さん(16年死去、享年80)。89年の初舞台「盲導犬」。17歳の木村は厳しい指導に白髪が生え、10円ハゲができた。

 「蜷川幸雄さんの指導で、拍手をいただけることがどれだけすごいことか。舞台に上がることがどれだけ大変か。初めて理解できた」

 「恩師」のおかげで、「仕事を続けられた」。グループでも個人でも随一の人気を得た。その傍ら、「キムタク」にいら立ちもした。ドラマや映画での髪形、しぐさ、洋服、車。全てがはやり、「キムタクブーム」を生んだ。「何を演じてもキムタクと言われる」「キムタクって商品みたいで嫌」。トゲのある言葉で抵抗した時期もあった。

 「現場でも『キムタク』というソフトにしか見られていなくて。スタッフとの関係性も良くなくて、全てが嫌だった」

 救いになったのは「おじき」と慕う明石家さんま(67)の一言。フジテレビ系ドラマ「空から降る一億の星」(02年)で共演した時のことだった。

 木村「キムタクと呼ばれるの嫌なんですよね」

 さんま「なんでや、最高やないか」

 木村はうなずきながら、当時のやり取りを回想し、さんまの言葉をなぞった。

 「『俺らみたいなもんは自分でやっているように勘違いすることも多いけど、生きているんやない。生かされているねんぞ。キムタクだって、一番呼びやすい名前だからな』って。なるほどなと合点がいって。目だけじゃなくて、体全身からうろこが落ちて。それからは『キムタク』にもスムーズになりましたね」

 当時、さんまは木村のすごさを「父親をしていること」とも言った。現在はモデルで女優のCocomi(21)とKoki,(19)を通してその一面が垣間見えるが、普段の姿とは異なるのか。

 「違うか、違わないかも分からない。結婚前から、オンとオフの区切りはあまりなくて。嫌いなものは嫌いですし、ダサいと思うことはしたくない。その反対に、こうしたら相手が喜んでくれるかなと思ってやることは家族にもスタッフにも一緒ですしね」

 家族がいるからこそ、想像を絶する重圧やストレスに立ち向かえるのか。そう聞くと「ぜっんぜん」と両手を振って否定した。

 「全然、そんなことない。スポーツ選手みたいに結果が求められるわけじゃないし、数字はテレビ局や映画会社の方が気にすること。俺、そこじゃないもん。そこを追っていたら…」。一呼吸置いて、言った。「もう辞めてんじゃないですか」

 2016年、SMAPが解散した。5人から1人になった。解散当初は「1人でオールをこぐ」と表現したが、「今は違う」。

 「ステージに上がれば1人ですけど、そこまで一緒に考えて支えてくれるスタッフがいる。バンドメンバーもダンサーもいる。客席にはオーディエンスの方もいる。今は、1人でオールをこいでいる意識はないよね」

 芸能界に足を踏み入れ、35年。さまざまなムーブメントを巻き起こし、結婚や解散を経ても変わらない存在感で、50歳を迎えた。より広がる可能性。この先、描く像は―。

 「知らない」。即座に返ってきたが、すぐに続けた。「目の前のことをしっかりしていないうちに、先のことなんて考えられない。何が、どうなるかなんて全然分からない」。全身全霊を込めた半世紀。「信長まつり」では、死さえも覚悟した。外面のみならず、内面も「スター」そのものだからこそ、その姿は心を打ち、全世代へと派生していく。

 「髪形や服がはやることは『へぇ』くらいですけど、自分が演じた職業に希望する方が増えたりするとね。美容師の方が『あのドラマを見たのがきっかけです』とか、世代的に下の方が『母が好きな作品を見ていて、パイロットをやっています』とか。一言で簡単に『感動』と言えちゃいますけど、作品から何かを感じて実際に動いている人たちを見ると、一番うれしいですよね。感動しますよ」

 木村拓哉は、この先も「キムタク」として走り続けていくだろう。

 ◆木村 拓哉(きむら・たくや)1972年11月13日、東京都生まれ。50歳。91年にSMAPのメンバーとしてCDデビューし、国民的アイドルに。「ロングバケーション」「ビューティフルライフ」「HERO」など主演ドラマが立て続けに大ヒット。映画は「武士の一分」「無限の住人」などに主演。2000年12月、歌手の工藤静香と結婚。長女はモデルのCocomi、次女はモデルのKoki,。

 ■取材後記 感じたことのない「オーラ」

 木村を語る上で、欠かせないワードがある。「オーラ」。姿形がない不確実なモノだが、共演した俳優や、同じジャニーズのタレントですら、そう表現する。関係者から、正対した瞬間に手の震えが止まらず、コーヒーを飲めなかった記者がいたというエピソードも聞いた。

 21年の報知映画賞主演男優賞インタビューでは、真っすぐな視線と口調に圧倒され、予定時間より10分早く切り上げてしまった。サッカー担当時代に接した三浦知良(55)にも似た空気を感じたが、「気おされる」経験は十数年(サッカーと芸能)の記者人生で初めてだった。

 今回も入室した途端、ビシビシと感じるオーラに意味不明な丁寧語を発したりもしたが、その度に「何でも聞いてください」「この話は書けないと思いますけど…」と、こちらを気遣いながら、時にリップサービスもしてくれた。

 取材後。時計に目を向けると、予定時間ピッタリだったことに安堵(あんど)しつつ、手のひらは汗でびっしょり。無意識に握りしめた拳の爪の深い痕がついていた。

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