東京六大学の4年生の進路が、ほぼ出そろった。慶大の最速152キロ左腕・生井惇己投手は、3年秋のリーグ戦終了後に左肘を故障。5月下旬に靱帯(じんたい)断裂でトミー・ジョン手術を受け、最後の秋のリーグ戦での登板がかなわなかった。来春からは社会人の名門・日立製作所に進み、2年後のプロ入りを目指す。
今秋の東京六大学リーグ戦。かつて慶大の守護神を務めるも故障に泣いた生井は、ベンチ入りメンバーに入れなかった。初戦の東大1回戦(9月17日)で敗れると、同期の山本晃大外野手らから「惇己がベンチ(の近く)にいてくれないとダメだ」と助けを求められた。その後は、慶大の伝統である4年生のボールボーイとして、ベンチ脇でチームを支えた。「(試合に出ているのが)うらやましかった。マウンドまで、もう少しなのに…」ともどかしくもあったが、早く投げたいという気持ちは高まり、リハビリにも力が入った。
左肘の痛みに悩み続けた。限界に達したのが5月2日の法大3回戦。1点リードの9回に抑えとして登板。2球目を投げた時、「ブチッ」と靱帯が切れた音が聞こえた。打者を1人も抑えられず、4球で降板。「抑えられなかったことも、もう投げられないだろうということも悔しかった」とベンチで大粒の涙をこぼした。その後、神宮のマウンドに立つことはなかったが、日立製作所が声をかけてくれた。
社会人での目標は「都市対抗野球の初優勝に貢献すること」でリハビリを第一に、けがをしない体作りに取り組む予定。「慶応での経験を社会人でも生かすことが、最大限の恩返しになる」と2年後のドラフト指名へ向けて、完全復活を遂げると誓った。(内藤 菜月)
◆生井 惇己(なまい・じゅんき)2000年7月25日、茨城・下妻市生まれ。22歳。宗道小1年時から野球を始め、千代川中時代は常総シニアに所属。慶応では1年秋からベンチ入りし、3年時は春夏連続で甲子園出場。慶大進学後は1年秋にリーグ戦デビューし、通算27登板で0勝1敗、防御率2・88。持ち球は直球、スライダー、カーブ。176センチ、78キロ。左投左打。