アニメソングのパイオニアで、「マジンガーZ」「バビル2世」などで知られる歌手の水木一郎(みずき・いちろう、本名・早川俊夫=はやかわ・としお)さんが6日 午後6時50分、肺がんのため、死去した。74歳だった。所属事務所が12日、公式HPで発表した。通夜、葬儀は遺族の意向により近親者のみにて執り行わた。後日、お別れ会を執り行う予定。
1200曲に及ぶアニソン、特撮ソングに魂を吹き込んだ「アニソンの帝王」が逝った。
水木さんは、歌謡曲の歌手として1968年にデビュー。デビューから3年間は鳴かず飛ばずだったが、転機は71年、日本コロムビアのディレクターに勧められ、初のアニメソング「原始少年リュウ」(原作・石ノ森章太郎)の主題歌「原始少年リュウが行く」を務めたことだった。石ノ森氏のキャラクター資料を見て研究し、主人公になりきって歌うことで活路を見いだし、アニソン歌手として第一歩を踏み出した。
72年に「マジンガーZ」が70万枚のヒットを記録。「ゼーット!」の雄たけびで強烈な個性を放った。その後も「超電磁ロボ コン・バトラーV」「宇宙海賊キャプテンハーロック」などのアニメソング、「がんばれロボコン!!」「仮面ライダーストロンガーのうた」「時空戦士スピルバン」などの特撮ソングを担当し、アニソン界で不動の地位を築いた。
99年には5000人のファンが見守る中、持ち歌1000曲を24時間で歌いきるという前人未到のソロライブ「水木一郎24時間1000曲ライブ」に成功。「日本で一番多くの曲を歌った単独ライブ」として音楽史に大きな記録を打ち立てた。この時のライブの実績から「日本一の声帯の持ち主」と評された。
アニメソングの世界的なヒットによって、ネット百科事典「ウィキペディア」には90言語で掲載されるほど。活躍の場は日本にとどまらず、フランス、中国、韓国、シンガポール、タイ、インドネシア、コスタリカ、ベトナム、台湾、サウジアラビアで海外公演を開催。10年に上海国際博覧会、15年に日・中米交流年開幕記念ライブに出演し、国際交流の一翼を担った。
デビューから半世紀以上、大病を患ったことがなかったが、昨年4月に発声しにくい症状が出たために検査をうけたところ、声帯不全麻痺(まひ)、リンパ節と脳への転移を伴う肺がんが見つかった。22年には、定期健診中に転移腫とは別の由来の肺がんが発見された。生涯現役に意欲を燃やし、音声機能について言語聴覚士によるリハビリ、運動機能について理学療法士によるリハビリを続けていた。
気さくな人柄で、「アニキ」と慕われた水木さん。7月のアニソンフェスティバルでは元気な姿で歌唱。10月の音楽番組収録にも、特注の車いす姿で「マジンガーZ」を熱唱していた。
◆水木 一郎(みずき・いちろう)1948年1月7日、東京都生まれ。68年デビュー。76年から3年間、NHK「おかあさんといっしょ」の2代目うたのおにいさん。87年後進の指導のため、「水木一郎ヴォーカルスクール」設立。89年小堺一機、関根勤のラジオ番組を発端に「雄叫びブーム」到来。2012年震災復興ソング「東北合神ミライガー」発表。15年から「個性伸長」の題材として小学校・道徳の教材に登場。16年東京アニメアワードから功労賞。
所属事務所のコメントは以下の通り
弊社所属の歌手・水木一郎が令和4年12月6日 午後6時50分、肺がんのため永眠いたしました。
ここにみなさまからの生前のご厚誼に深謝し、心から哀悼の意を表しますとともに、謹んでご報告申し上げます。
昭和23年1月7日生まれ 享年74
昨年4月末に肺がんが発覚し、入退院を繰り返しながら放射線治療や薬物療法を行い、1年7か月あまり闘病生活を続けておりましたが、去る12月6日に救急搬送先の病院にて息を引き取りました。
脳転移、リンパ節転移、髄膜播種を伴う厳しい病状ではありましたが、「生涯現役」を目標に、治療とリハビリに励み、活動を続けてきました。
思うようなパフォーマンスができなくなってもその強い意志は変わらず、最後のステージとなった11月27日のライブでも満面の笑みを浮かべておりました。
これまで支えてくださったみなさまに厚く御礼申し上げます。
通夜並びに葬儀につきましては、ご遺族の意向により近親者のみにて執り行われました。
ご遺族の心中をお察しいただき、ご弔問、お香典、ご供花などはご遠慮くださいますようお願い申し上げます。
なお、お別れの会などにつきましては、ご遺族と相談のうえ、後日執り行う予定です。