羽生結弦さん「みなさんの中に少しでも残ったらいいな」 「プロローグ」千秋楽に見た究極の「SEIMEI」

5日のアイスショーで「SEIMEI」を演じる羽生結弦さん(カメラ・矢口 亨)
5日のアイスショーで「SEIMEI」を演じる羽生結弦さん(カメラ・矢口 亨)

 フィギュアスケート男子で2014年ソチ、18年平昌五輪を連覇し、7月にプロ転向した羽生結弦さん(28)の単独アイスショー「プロローグ」は5日、青森・フラット八戸で幕を閉じた。プロ初のアイスショーとなった横浜市での2公演、八戸市での3公演を全力で駆け抜け、来年2月26日の東京ドーム公演「GIFT」で本編へ突入する。

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 横浜公演と基本は同じ構成ということで幾分、落ち着いて見ることができる。はずだった。

 6分間練習で開演。ジャージーを脱ぐと現れる「SEIMEI」の衣装。会場の拍手。落ち着いてなんかいられなかった。ここで一気に心拍数が上がるのは、もはや記者の習性なのかもしれない。

 「1番、羽生結弦さん」からの「SEIMEI」。スタートの構え。曲の始まりと同時に左手を頭上に上げた。凜々(りり)しい表情。その瞬間、世界が一変する。何度も見てきた「SEIMEI」が、この日は特別に染みた。

 4回転サルコーの着氷は美しく流れ、4回転トウループにも曲と同調した余韻があった。トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)、3回転半―3回転トウループ、3回転半―オイラー―3回転サルコー。音にはまった完璧なジャンプが続いた。スピン、ステップ、すべての動きがどこを切っても美しく優雅で、生命が宿っていた。

 2020年2月の四大陸選手権を思い出した。シーズン途中ながら、フリーを「SEIMEI」に変えて臨んだ。18年平昌五輪で金メダルを取った代表作だ。試合後にこう言った。

 「伝統芸能だとか、語り継がれるものっていうのは、何回も何回もやるじゃないですか。バレエにしても、オペラにしても。だから、自分もそういう道にいってもいいんじゃないかな。もっと極められるものもある」

 なるほど、こういうことかと。あれから約3年、その形を見た気がした。

 ショーの途中でマイクを手に言葉を並べた。

 「こうやって6分間練習込みで『SEIMEI』を滑るということが、もしかしたら最後かもしれないなと思って。そういうことを考えるとなんか、すごい力が入ってしまって。なんか今日もこの演技が、みなさんの中に少しでも残ったらいいなって今は思っています」

 この日の「SEIMEI」は、多くの人の心に生き続ける作品だったに違いない。

 リクエストコーナーで会場の多数決で選ばれたのは、18―19年シーズンのSP「オトナル(秋によせて)」だった。「個人的には悲愴(ひそう)をやりたい」と自ら切り出し、演目を追加した。八戸だったからだ。

 東日本大震災で被災した11年につくられた、11―12年シーズンのSP。拠点にしていたアイスリンク仙台が利用できなくなり、全国のリンクを転々としていたときに「電気は使えないけど、滑っていいよ」と声をかけてくれたのがテクノルアイスパーク八戸だった。

 「節電の状態でしたし、電気もつけないで。換気用にちょっと天井を開けた明かりだけでプログラムをつくったり、体力トレーニングをさせていただいたり。そういう意味でも本当に八戸にお世話になりました。当時つくったプログラムをこの地でできたことは、自分にとっても感慨深いものがありました」

 感謝と鎮魂の思いを込めて舞った千秋楽。「春よ、来い」の後に、もう一つのアンコールが用意されていた。

 ノービス時代の「ロシアより愛をこめて」の映像が場内スクリーンで流れた。競技者時代に何度も対話を続け、叱咤(しった)激励を受けてきた「自信の塊だった」9歳の自分との共演だった。映像とシンクロするように滑り、最後はそろって両手を天に向けた。北京五輪で滑ったフリープログラム「天と地と」と同じフィニッシュポースで、半生が詰まった「プロローグ」の最後を締めた。

 公演後に汗をぬぐい振り返った。

 「ちゃんとジャンプを決めて、全部ノーミスしてやれたことは自分にとっても自信になりますし、良い演技を届けられたなっていう達成感にもなっています」

 90分を一人で滑り切るショーをやり遂げた。チケットは争奪戦になり、連日会場は満員だった。

 「正直、アマチュアが終わったら、こんな景色二度と見られないだろうなって思っていました。すごい怖かったです」

 そんな考えは杞憂だったことを、知ったはずだ。

 こんなにも多くのファンが変わらずともにいる。スケートを待っている人がいる。氷上こそ羽生結弦が生きる場所。一つ上のステージで、これからも光を放ち続ける。(高木 恵)

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