MLB公式サイトなど複数の米メディアが、メジャー通算314勝したゲイロード・ペリーさんの死去を伝えた。84歳だった。1978年からメジャーを見続けたヒルマニアがペリーさんの思い出を綴った。
1938年生まれのペリー氏は1962年にジャイアンツでメジャーデビュー。1970年に23勝を挙げて最多勝に輝くと、インディアンス(現ガーディアンズ)に移籍した1972年には24勝しサイ・ヤング賞。1978年パドレスで21勝を挙げ史上初の両リーグでサイ・ヤング賞を受賞。
3度の最多勝を含めメジャー通算22年間で314勝265敗、防御率3・11、3534奪三振。7年間で6度の300イニングをマークするなど通算5350イニングは歴代6位の息の長い投手だった。
若かりし頃は速球投手としてならしていたが、実は彼の専売特許は自ら出版した「私とスピットボール」に書かれているように、不正投球でもある唾(つば)やワセリン、時には紙やすりをしのばせて微妙なボールの変化をさせるピッチングだ。晩年まで一度も審判のチェックにひっかからなかった。しかし、マリナーズ時代の引退前年の1982年、8月23日レッドソックス戦の8回に、デーブ・フィリップス球審に2度の不正投球をしたとして、キャリア唯一の退場となった(同審判は翌年ロイヤルズのG・ブレットの松ヤニ事件でも球審だった)。
彼にはもう一つ自慢の記録がある。3歳上の兄のジム・ペリーも215勝しており、兄弟合計529勝は、こちらはナックルボールの使い手フィルとジョーのニークロ兄弟の539勝に抜かれるまで兄弟最多勝だった。
殿堂入りのパスポートの300勝投手ながら、そのイメージもあって野球殿堂入りは資格取得3年目の1991年だった。
現役引退後は一時農場を経営したが失敗。その後はサイン会などのイベントなどに多く招かれ、いつもファンから「あなたはどうやってそれ(違反投球の痕跡)を隠したのか」と聞かれ、にやっと笑って「そんなことしていないよ」と答えていたという。
ご冥福をお祈りいたします。
蛭間豊章(ベースボール・アナリスト)