今にも通じるテーマがあった…初代ウルトラマン誕生秘話「光の国を創った人たち」〈20〉

スポーツ報知
ウルトラマンⓒ円谷プロ

 今年、初回放送から55周年を迎えた人気特撮ドラマ「ウルトラセブン」が、盛り上がりを見せています。10月には「第35回東京国際映画祭」で特別上映され、雑誌などでも特集が組まれるなど、今後1年にわたって様々な関連イベントが企画されています。

 1966年7月、「ウルトラマン」からスタートした「ウルトラマンシリーズ」は、「―セブン」(67年10月~68年9月)と続き、21世紀に入っても、新たなヒーローが、宇宙の平和を守ってくれています。

 スポーツ報知では円谷プロの協力のもと、45周年となった2011年に初代ウルトラマンの誕生秘話を追った連載「光の国を創った人たち」を全20回、掲載しました。続いて12年には「ウルトラセブンを創った人たち」を20回にわたり連載。様々な関係者の証言を元に、永遠のヒーローの実像に迫りましたが、今回、この2つの連載をWEBのみ加筆・修正して再掲載します。

 まずは「光の国を創った人たち」からスタートです。お楽しみください。(毎日正午更新)

 放送から半世紀を経て、今もなお支持され続けるヒーロー・ウルトラマン。その理由はどこにあるのか? メガホンを執った一人、満田★(かずほ)は“日本映画界の特撮の父”円谷英二の存在が大きかった、と説明した。

 「円谷英二の光る目があったから、スタッフ全員がその目を意識して、懸命に、真剣にドラマを作ってきました。特撮ものではありましたが、テレビが家庭に一台しかない時代。難しいセリフを子供が父親に聞く…そんなコミュニケーションが生まれていったことも、ウルトラマンが浸透していった一因でしょう」

 また、科学特捜隊・アラシ隊員を演じた毒蝮三太夫は「環境破壊、石油危機、民族紛争…今に通じるテーマがあった。脚本家の先見の明だよ。そこに、隊員たちなど人間のドラマが組み合わさった。チャチな子供番組じゃなかった、ということだな」と話した。テーマ性については監督、脚本家として番組にたずさわった飯島敏宏もこう認めている。

 「当時、『ここだけは見てくれよ』と、こちらが狙った部分をしっかり覚えているファンが多いのは、うれしいことです。再放送などで何度もウルトラマンを見ていくたびに『ああ、あの話はこういうことだったのか』とか『こういうことを言っていたのか』など、成長とともに、我々が1話ごとに入れ込んだテーマを理解してくれたんですね」

 7月10日は「ウルトラマンの日」だ。50年前のこの日、前夜祭的番組「ウルトラマン前夜祭 ウルトラマン誕生」において、光の巨人がテレビで初めて姿を現した日にちなんでいる。前例のない全編カラーでの特撮ヒーローもの。スタッフ、俳優、作品にかかわった全ての人たちの熱い思いが、ウルトラマンを今なお続く空前絶後のドラマシリーズに仕立て上げた。

 「いつの時代も、子供たちには憧れを抱くヒーローが必要なんです。それがウルトラマンなら、これからもそのイメージを壊さず、ウルトラマンを生み続けなければならない」

 ハヤタを演じた黒部進は、新たに誕生するであろうウルトラ兄弟に、地球の、子供たちの未来を託した。(おわり)=文中敬称略=

★=のぎへんに斉

 〇…円谷は1901年7月7日、福島県須賀川市(当時・須賀川町)に生まれ、日本映画界における特殊撮影技術の第一人者であり、独自に作り出した技術で“特撮の神様”などと呼ばれた。戦後の54年、日本初の怪獣特撮映画「ゴジラ」(東宝)では特撮班を編成して撮影を行い、邦画初の全米公開作となって、その名は海外にも知れ渡った。70年1月25日、68歳で死去。同30日には「勲四等瑞宝章」を授与されている。現在、須賀川市はウルトラマンの故郷「M78星雲光の国」と姉妹都市提携を結び街づくりに取り組んでいる。ウルトラマンや怪獣のモニュメント、ウルトラヒーローモチーフの駅前街路灯など、街の至るところで円谷英二を感じることのできる場所となっている。

 〇…円谷プロ公式サブスク「TSUBURAYA IMAGINATION」では、有料プランに登録すると「ウルトラマン」がいつでも見放題となっている。また、Prime Video独占配信がスタートした映画「シン・ウルトラマン」を87倍楽しむため「ウルトラマン」特集も同サービス内で展開中だ。

 ご愛読頂きました「ウルトラマンを創った人たち」の連載は本日で終了します。明日21日からは2012年6~7月にかけてスポーツ報知紙上で連載した「ウルトラセブンを創った人たち」(全20回)を毎日、正午に更新します。

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