今年、初回放送から55周年を迎えた人気特撮ドラマ「ウルトラセブン」が、盛り上がりを見せています。10月には「第35回東京国際映画祭」で特別上映され、雑誌などでも特集が組まれるなど、今後1年にわたって様々な関連イベントが企画されています。
1966年7月、「ウルトラマン」からスタートした「ウルトラマンシリーズ」は、「―セブン」(67年10月~68年9月)と続き、21世紀に入っても、新たなヒーローが、宇宙の平和を守ってくれています。
スポーツ報知では円谷プロの協力のもと、45周年となった2011年に初代ウルトラマンの誕生秘話を追った連載「光の国を創った人たち」を全20回、掲載しました。続いて12年には「ウルトラセブンを創った人たち」を20回にわたり連載。様々な関係者の証言を元に、永遠のヒーローの実像に迫りましたが、今回、この2つの連載をWEBのみ加筆・修正して再掲載します。
まずは「光の国を創った人たち」からスタートです。お楽しみください。(毎日正午更新)
1967年4月9日。多くの怪獣、侵略宇宙人から地球を守ってくれたウルトラマンが、最期を迎える時がきた。強敵・宇宙恐竜ゼットンにウルトラスラッシュなど必殺技をはね返され、スペシウム光線をも吸収され、逆に波状光線として撃ち返されてカラータイマーを破壊された。あお向けに倒れるウルトラマン。無敵のヒーローが負けた。
子供たちは驚がくした。地球はどうなるのだろう? が、科学特捜隊・アラシ隊員(石井伊吉=毒蝮三太夫)が無重力弾を撃ち込み、ゼットンを上空で粉砕した。地球は、最後は地球人の手で守る―。物語の大きなテーマが、こうして描かれた。
宇宙警備隊のゾフィーから新たな命を授かり、共に光の国に帰っていくウルトラマン。放送が終了した直後、全国の子供たちが家の窓を開け、夜空に向かって「さようなら」「ありがとう」と叫んだ、というのが、今も逸話となって残っている。
「この話を聞いた円谷英二さんはね、『ああ、このドラマを作って本当に良かった』って言ったそうだよ。初めての特撮ヒーローもの。何もかもが手探りで、まるで『獣道』を行くようなもんだった。でも、スタッフも俳優もみんな一生懸命だった。徹夜でシナリオを書き、怪獣を造り、編集をして…物語に人間のドラマがあり、哲学があった。そういう作品だから、何年たっても人気があるんだよ」。毒蝮はこう自負した。
ハヤタを演じきった黒部進には、また別の思いがあった。「やりきった、という思いはあったと思いますが、当時はそれほど感慨深くもなかったような…それよりも『俳優として君は苦労するぞ。ウルトラマンのハヤタ、というイメージが付いて回るんだから』と誰かに言われたことの方が残っていますね」。その後、しばらくの間は「『ウルトラマン』という作品に出た」ということを表に出したくない日々が続いた。=文中敬称略
〇…ゾフィーはウルトラ兄弟の「長兄、リーダー」という位置づけ。光の国の「宇宙警備隊隊長」であり、ウルトラの父に次ぐ立場だ。ウルトラマンの最終回の時点では宇宙警備隊の隊員としての登場だったが、後に隊長に昇格した。体には「スターマーク」(胸にある6対の突起)があるが、これは彼の武功をたたえた勲章である、とされている。必殺技は兄弟中、最強といわれるM87光線。
〇…円谷プロ公式サブスク「TSUBURAYA IMAGINATION」では、有料プランに登録すると「ウルトラマン」がいつでも見放題となっている。また、Prime Video独占配信がスタートした映画「シン・ウルトラマン」を87倍楽しむため「ウルトラマン」特集も同サービス内で展開中だ。