今年、初回放送から55周年を迎えた人気特撮ドラマ「ウルトラセブン」が、盛り上がりを見せています。10月には「第35回東京国際映画祭」で特別上映され、雑誌などでも特集が組まれるなど、今後1年にわたって様々な関連イベントが企画されています。
1966年7月、「ウルトラマン」からスタートした「ウルトラマンシリーズ」は、「―セブン」(67年10月~68年9月)と続き、21世紀に入っても、新たなヒーローが、宇宙の平和を守ってくれています。
スポーツ報知では円谷プロの協力のもと、45周年となった2011年に初代ウルトラマンの誕生秘話を追った連載「光の国を創った人たち」を全20回、掲載しました。続いて12年には「ウルトラセブンを創った人たち」を20回にわたり連載。様々な関係者の証言を元に、永遠のヒーローの実像に迫りましたが、今回、この2つの連載をWEBのみ加筆・修正して再掲載します。
まずは「光の国を創った人たち」からスタートです。お楽しみください。(毎日正午更新)
スーツアクターとして、嫌々引き受けたウルトラマン。撮影が進み、古谷敏の心身は限界に近づいていた。ゴム製スーツを着ると、全身が締め付けられ、大量の汗をかく。それだけではない。締め付けが激しいため、胃が圧迫され、食欲もなくなり、体重がどんどん減り続けた。そして、精神的にも追い込まれた。
「やっぱり本編の俳優はハヤタもイデもみんな格好いい。スポットライトを浴びて輝いて見えた。それに引き換え、同じ俳優でありながら顔も出ない私は…気持ちを抑えつつ仕事を続けていましたが『もうダメだ』と…」
「ビンちゃん(古谷)の体に合わせて着ぐるみを作ってあるから、他の人は着られないよ」とスタッフから言われたこともあったが、もう、どうでも良かった。「モデルクラブに行けば、いくらでも同じ体形のヤツなんて探せる」。そう思うようになった。撮影開始から3か月くらいたったところで、古谷は降板を決意した。
「今日こそ正式に(降板を)申し出よう」と誓って、撮影所のあった世田谷区砧に向かうバスに乗ると、子供たちの声が耳に入った。
「ねえねえ、昨日のウルトラマン見た?」
「格好良かったね。次はどんな怪獣と戦うのかな? 楽しみだね」
古谷の心臓が高鳴った。「『こんなに楽しそうにウルトラマンの話をしている。俺は辞めちゃあいけない。夢を壊したらいけない』。そう思いました。撮影を続けられたのは、ウルトラマンを待っていた子供たちのおかげです。やり終えた瞬間、本当に達成感がありました」
ウルトラマンの人間体・ハヤタを演じた黒部進は、こう古谷をたたえている。
「こんなにも長い間、ウルトラマンシリーズが続いているのも、ビンちゃんのおかげ。着ぐるみの中に入って、あのポーズを作って、ずっと戦ってくれた。あのポーズがあったからこそ、永遠の人気が続いているんじゃないかなあ」。=文中敬称略=
〇…古谷は次作「ウルトラセブン」でウルトラ警備隊のアマギ隊員を演じた。これは、ウルトラマン撮影の苦労に報いようとのスタッフの考えや、ファンからの要望があったという。アマギ隊員は「名古屋出身の名プランナー」という役柄。冷静な人物だが高所恐怖症で幼い頃、近所の花火工場が爆発したことから火薬に恐怖心を抱いている、と設定された。
〇…円谷プロ公式サブスク「TSUBURAYA IMAGINATION」では、有料プランに登録すると「ウルトラマン」がいつでも見放題となっている。また、Prime Video独占配信がスタートした映画「シン・ウルトラマン」を87倍楽しむため「ウルトラマン」特集も同サービス内で展開中だ。