映らない下半身はパンツ一丁…初代ウルトラマン誕生秘話「光の国を創った人たち」〈10〉

スポーツ報知
ハヤタ隊員役の黒部進(2011年6月13日撮影)

 今年、初回放送から55周年を迎えた人気特撮ドラマ「ウルトラセブン」が、盛り上がりを見せています。10月には「第35回東京国際映画祭」で特別上映され、雑誌などでも特集が組まれるなど、今後1年にわたって様々な関連イベントが企画されています。

 1966年7月、「ウルトラマン」からスタートした「ウルトラマンシリーズ」は、「―セブン」(67年10月~68年9月)と続き、21世紀に入っても、新たなヒーローが、宇宙の平和を守ってくれています。 

 スポーツ報知では円谷プロの協力のもと、45周年となった2011年に初代ウルトラマンの誕生秘話を追った連載「光の国を創った人たち」を全20回、掲載しました。続いて12年には「ウルトラセブンを創った人たち」を20回にわたり連載。様々な関係者の証言を元に、永遠のヒーローの実像に迫りましたが、今回、この2つの連載をWEBのみ加筆・修正して再掲載します。

 まずは「光の国を創った人たち」からスタートです。お楽しみください。(毎日正午に更新)

 怪獣が出現! ムラマツキャップ(小林昭二)の号令一下、勇壮なマーチが流れる中、ハヤタ(黒部進)たち科学特捜隊(科特隊)のメンバーが、ジェットビートルで出動する―。こんな胸をときめかせるシーンも、実は体力的にきついものだった。

 「とにかく、撮影していた東京美術センターは、夏はより暑く、冬はより寒く…で。特に夏のビートルの操縦席は蒸し風呂状態で、僕は科特隊のユニホームの上だけを着て、下はパンツ一丁で撮影していたんです。映るのは上半身だけですから。ところが、右や左に操縦かんを切るシーンで、体がグーッと傾いた瞬間、『ダメだよ! 黒部ちゃん、パンツ映っちゃってるよ!』って、カメラマンが言うんですよ」(黒部)

 映画俳優を目指して東宝に入社しながら、当時は格下に見られていたテレビの子供番組でこんなつらい撮影をしている―。黒部の心の中には、ハヤタを演じることへのわだかまりが生まれていた。

 そんな気持ちが少し、和らいだのが、ウルトラマン人気の爆発だった。

 「放送が始まってしばらくたった頃、電車に乗れば『あっ、ハヤタ隊員だ』って声を掛けられる。『これは人気番組になったんだな』と実感しました。当時、こんな話があったんです。『ウルトラマンが放送される日曜日の夜7時には、日本中の銭湯から子供がいなくなる』。人気の高さが分かりますよね。(監督を務めた)満田★(かずほ)さんだけは『この番組は絶対に当たるよ』って言い続けていましたけど」

 それでも仕事のきつさには変わりがなかった。次から次に撮影が入り、長時間にわたり拘束され続けた。

 「ウルトラに出ていた役者はね、『三つぞろい』って言ってたんだよ。体が丈夫で、ギャラが安くて、暇…。この三つだな」

 アラシ隊員を演じた毒蝮三太夫(当時・石井伊吉)はガハハ、と豪快に笑った。=文中敬称略=

★=のぎへんに斉

 〇…東京美術センター(通称・美セン)は1962年10月に設立。スタジオと共に大道具製作セクションとして稼動。73年11月、「東宝ビルト」に名称を変更した。2008年2月に閉鎖されたが、この時点でも約6000坪の敷地に6つのステージ、各施設を持っており、最も多いときはスタジオ8つ、オープンセット1つがあった。ウルトラマンシリーズの撮影に長年使用されたほか、映画、CMの撮影にフル活用された。

 〇…円谷プロ公式サブスク「TSUBURAYA IMAGINATION」では、有料プランに登録すると「ウルトラマン」がいつでも見放題となっている。また、Prime Video独占配信がスタートした映画「シン・ウルトラマン」を87倍楽しむため「ウルトラマン」特集も同サービス内で展開中だ。

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