1・4事変の屈辱を糧にした橋本真也、そして猪木の関与は…「プロレス喧嘩マッチ伝説」著者インタビュー

「プロレス喧嘩マッチ伝説~あの不穏試合はなぜ生まれたのか?~」を上梓したジャスト日本氏
「プロレス喧嘩マッチ伝説~あの不穏試合はなぜ生まれたのか?~」を上梓したジャスト日本氏

 ジャスト日本氏の著書「プロレス喧嘩マッチ伝説~あの不穏試合はなぜ生まれたのか?~」(彩図社・税込み1760円)が発売1か月で増刷が決まるなど、ファンの興味を集めている。なぜ人々は「喧嘩マッチ」に魅せられるのか。320ページに込めた思いを、ジャスト氏に聞いた。(加藤弘士)

プロレスはルールのある喧嘩

 日本プロレスの父・力道山はこのような名言を残した。「プロレスはルールのある喧嘩である」と。そして本書の「はじめに」でジャスト氏は書く。「プロレスという枠組みの中で、プロ同士がプロレスを喧嘩という形に昇華して行うのが喧嘩マッチだ」。その上で、幾多の喧嘩マッチから65試合をピックアップし、その試合がなぜ起きたのか、試合後のレスラーたちはどのような道をたどったのか、考察したのが今回の一冊である。

 「プロレスって、余白が大事。考えることが喜びだと思うんです。全ての情報を詰め込むんじゃなくて、読者に考えてもらう余地を与えることを大事にしています。プロレスについて考えて欲しいし、考える喜びの素晴らしさを伝えたい。そんな思いで書きました」

 1980年生まれのジャスト氏だが、本書では1954年12月22日の力道山対木村政彦(蔵前国技館)に始まり、70年代、80年代、90年代、00年代、10年代以降と様々な時代の喧嘩マッチに言及している。当事者のレスラーが鬼籍に入り、真相が薮の中となった試合もある。それすらもプロレスの魅力であると語る。

 「僕が書いたことと、本当の本筋が違うということがあるかもしれません。だけど、それはそれで考えてもらえたらいいと思うんです。この本が、考える上での材料になれればと思っています」

◇1・4事変…橋本真也に仕掛けたことに意義

 表紙がいきなり不穏だ。伝説の一戦とされる1999年1月4日の新日本プロレス、東京ドーム大会における橋本真也・小川直也戦。その場外でもみ合うセコンド陣の写真が採用されている。

 「最初はリングが遠巻きに写っている写真を考えていたんですが、カメラマンの平工幸雄さんに協力いただき、写真を提供してもらった際にこの一枚があって、即決でした。この一枚で全てが分かると」

 私も23年前のあの日、東京ドームの2階スタンド席から手に汗握り、不穏なリングを見つめていた。会場全体に充満する戸惑いと興奮、高鳴る胸の鼓動は、今でも忘れることができない。ジャスト氏はあの一戦をどう捉えているのか。

 「見る角度でいくらでも語れる試合だと思っています。『プロレス』から見たら、その枠から外れている試合ですよね。『ザ』がつくような不穏試合だと思います。今でも謎がある。今回書いたのは、主に橋本さんサイドからの情報なんですが、一つだけ言えることは、小川さんの対戦相手が橋本真也でなければ、成立していないんです。小川さんが格下の選手に仕掛けても、これほどの伝説にはならない。橋本真也を相手に仕掛けたことに、意義があるんです」

 完膚なきまでに叩きのめされた橋本だが、事態は思わぬ方向に進んでいく。小川がPRIDEに参戦して「暴走王」としてブレイクするだけでなく、橋本も再戦での連敗、引退、復帰を経てその注目度を高めていった。そして新日本プロレス離脱、ZERO-ONEの旗揚げ。さらに両者は「OH砲」を結成し、共闘するようになる。

 「橋本さんにとっては屈辱の試合だったと思いますが、それを受け止めているというところに凄さを感じます。タッグを組んじゃうわけですから。そして『OH砲』は見た目こそ小川さんが暴れていたけど、試合を作っているのは7割が橋本さんだった。橋本さんがいたからこそ、『OH砲』は成り立っていたんです。橋本真也なくして、今の小川直也はいない。それに尽きますね。喧嘩マッチを通じて、男たちの人生が変わっていく。歴史が動く。その面白さが、橋本・小川戦にはあるんです」

◇猪木の人生も変えた1・4事変

 当時からささやかれ、本書でジャスト氏も指摘しているのが、アントニオ猪木による関与だ。小川にシュートを仕掛けたのは猪木-。確かに定説ではあるが、しかし猪木は舞台裏を明かすことなく、天国へ旅立った。

 「この本では、猪木さんは『指示は出したけど、直前で止めた』と書きました。これは金沢克彦さんの著作『子殺し』を参考にさせていただいたんですが、この一件については金沢さんが一番詳細で、的確なんです。何らかの形で猪木さんは絡んでいると思います。そして猪木さんもこの『1・4』をきっかけに復権したと、僕は思っているんです」

 猪木は弟子の小川とともにPRIDEへと軸足を移し、2000年8月27日の「PRIDE.10」ではエグゼクティブ・プロデューサーに就任した。プロレスから距離を置き、隆盛を極めた総合格闘技の世界で存在感を増すきっかけも、「1・4事変」だった。

 「猪木さんの人生もこの試合で少し変わった。そして力道山の名言『プロレスはルールのある喧嘩である』を一番体現したのも猪木さんだと思っています。それがストロングスタイルであり、その延長線上には異種格闘技戦があった。『格闘ロマン』という言葉もそうでしょう。さらに闘魂は連鎖した。猪木さんの孫弟子、ひ孫の弟子が後に喧嘩マッチの主役になっていくのも、面白いですよね」

 それでも時代は変わった。かつてのような喧嘩マッチは、今後もマット上で繰り広げられていくのだろうか。

 「ないとはいえない。プロレスに『絶対』はありませんから。団体内の不協和音とかによって喧嘩マッチは引き起こされるものだと、僕は思っているんです。正常な状態で起こることは、なかなかないと思うので」

◇プロレスは「万華鏡」

 そんなジャスト氏にとって、プロレスとは一体、何だろうか。

 「この本を書いて、知ったんです。プロレスは、答えが分からない。答えがあるのかないのかすら、分からない。サニーデイ・サービスに『万華鏡』という曲があるんです。そこで曽我部恵一さんは『噓も本当も何もない世界』と歌っている。僕はプロレスこそ、それだと思っているんです。まさに万華鏡の中の世界。そこに戦うレスラーや見ている人の思いが加わるから、面白くなる。ぜひこの一冊を読んでタイムスリップして頂き、空想や夢想の材料にしてもらえたら、筆者としてこんなにうれしいことはありません」

 ◆ジャスト日本(じゃすと・にほん)1980年5月11日、福岡県生まれ。現在は和歌山県在住の42歳。プロレス考察家、プロレスブロガー。2017年9月と2018年3月に電子書籍「俺達が愛するプロレスラー劇場」(ごきげんビジネス出版)シリーズを刊行。また2019年より、大阪なんば紅鶴にて一人語りイベント「プロレストーキングブルース」を定期開催している。「日刊SPA!」等に記事を執筆中。著書に『インディペンデント・ブルース~月で生まれ輝くレスラーたちの物語~』(彩図社)などがある。 現在アメブロで「ジャスト日本のプロレス考察日誌を更新中。

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