映画「月はどっちに出ている」「血と骨」など、在日コリアンの物語をリアルに描いた作品で知られる映画監督で、前日本映画監督協会理事長の崔洋一(さい・よういち)さんが27日午前1時、ぼうこうがんのため都内の自宅で死去した。73歳。葬儀・告別式は近親者で行う。喪主は妻の青木映子(あおき・えいこ)さん。後日、お別れの会を営む。
崔さんは今年4月、同じ病気で死去した盟友の俳優・松田優作さん(享年40)を追悼するドキュメンタリー映画「優作について私が知っている二、三の事柄」のイベント「ラスト・ショー」に登場。「病名を知った時は、優作に30年後に引っ張られたのかなと不思議な気がした」と話していた。一方で、舞台裏でスタッフに「演出の音量が小さい!」とゲキを飛ばしていた。
映画関係者によると、このイベントの後は、がん治療のため入退院を繰り返していたが、今月に入って自宅療養に切り替えていた。療養中も映画への情熱は衰えず、新作に意欲を燃やしており、脚本を執筆。体調が良ければ今秋にはクランクインする予定も、かなわなかった。
崔さんは、在日朝鮮人の父と日本人の母の間に生まれ、大島渚監督の「愛のコリーダ」(1976年)などの助監督を経験。83年に親交の深かった故・内田裕也さん(享年79)が企画、主演し、崔さんが内田さんと共同脚本を書いた「十階のモスキート」で映画監督デビュー。93年「月は―」で報知映画賞の作品賞と監督賞、ブルーリボン賞で作品賞を受賞。2004年の「血―」では主演にビートたけし(75)を起用し、日本アカデミー賞最優秀監督賞を受賞した。
晩年は病魔と闘った。19年、内田さんの葬儀後、「尿が出ない」と異変を感じ病院で検査したところ、ぼうこうがんが見つかった。20年4月にぼうこうを全摘したが、21年春、リンパ節などに転移し2週間入院。22年1月に新たな抗がん剤治療を受けることを公表した。4月のイベントでは抗がん治療の副作用からか、指先の感覚がなくなり「タイピングがしにくい。映像編集作業が難しい」と話していた。
◆崔 洋一(さい・よういち)1949年7月6日、長野県生まれ。大島渚、村川透の両監督の助監督を務め、83年に「十階のモスキート」(内田裕也主演)で監督デビューし、ベネチア国際映画祭に出品。主な作品は「月はどっちに出ている」(93年)、「刑務所の中」(2002年)、「クイール」「血と骨」(04年)、「カムイ外伝」(09年)など。04~22年に日本映画監督協会の理事長を務めた。