崔洋一さん、創作の源に幼いときの原体験「四谷怪談」と大島渚監督への深い感謝…記者が悼む

スポーツ報知
崔洋一さん

 映画「月はどっちに出ている」「血と骨」など、在日コリアンの物語をリアルに描いた作品で知られる映画監督で、前日本映画監督協会理事長の崔洋一(さい・よういち)さんが27日午前1時、ぼうこうがんのため都内の自宅で死去した。73歳。葬儀・告別式は近親者で行う。喪主は妻の青木映子(あおき・えいこ)さん。後日、お別れの会を営む。

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 豊富なボキャブラリーから発せられる、よどみない受け答え。3度ほどインタビューしたが、印象に残る返答がある。

 記憶力に驚かされた。2004年、「崔版・近松バイオレンス 女殺油地獄」で初めて舞台演出したとき。「忘れられないな。3、4歳で母と見た前進座の『四谷怪談』。ものすごく怖くてさ…」。昨日のことのように細かく振り返り始めた。

 舞台へのプレッシャーを受け流す姿には強がりも含まれていただろうか。「映画監督と舞台の演出家。本来、境界線なんてないと思うな」と持論を展開した。「映像以上にテンポと間にはこだわりたいんだ」。抱負は決意表明に聞こえた。

 報知映画賞の40回記念連載(15年)のとき。報知を始め、53の映画賞をさらった「月はどっちに出ている」を振り返るのが目的だった。ところが、大島渚監督との話になったのが意外だった。

 「愛のコリーダ」でチーフ助監督を務めた崔さんは、大島監督と2人で飲んだときに言われた。「崔、お前、もう人の助手なんてやるんじゃない。これからは友人でいこう」。大先輩は才能を見抜いていた。「あの時26歳。ありがたい言葉だった」。「月は―」の成功にも「『よくやった、これからもガンガンいけ』と言ってもらってうれしくてね」。ときに、感情あらわな言動が誤解を招くこともあったが、幼いときの原体験と忘れることのない恩人への深い感謝が、創作の源になっていたと思う。(内野 小百美)

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