人生を変えた尾崎豊とアレン・ギンズバーグとの出会い…人気カルチャー誌編集長はなぜ週末野球選手を貫くのか【中編】

スポーツ報知
〈SANYOCOAT〉2019年秋冬キャンペーンモデルとして、ユニホームでない姿も(撮影・若木信吾)

 57歳にして、草野球で「7年連続100盗塁」の偉業を成し遂げた山崎二郎。今年創刊30周年を迎える人気カルチャー雑誌「バァフアウト!」の編集長/発行人として、今もなおカルチャーシーンの最前線に立ち続ける。挑戦することへの貪欲な姿勢を形成した根底には、若き日のカリスマたちとの出会いがあった。全3回のインタビュー、中編です。(加藤弘士)

□尾崎豊デビューライブを至近距離で体感

 特に目標もなく、流れるままに日々を過ごしていた高校3年の12月。山崎二郎はNHK-FMの音楽番組「サウンドストリート」で偶然かかった曲に心を突き動かされる。胸の奥からの叫びでそれを歌う男は、自身と同世代-。尾崎豊「15の夜」には、聴き手の人生を変えてしまうほどの魔力があった。

 「自分が通っていた高校は新設校で、埼玉県内で一番偏差値が低い方のような学校だったんです(苦笑)。部活もせずにダラダラ3年間を過ごして、途中退学する者もいるような環境だったんですが、『15の夜』にガツンとやられました。凄くリアリティーのある歌詞で、素晴らしいメロディーで。しかも調べたら、自分と同い年の高校生が詞も曲も書いていると。凄い才能の持ち主で、顔を見たらイケメンで、青学だし(笑)。自分にないものを全部持っているなと思って」

 山崎は尾崎のデビューライブのチケットを買った。1984年3月15日、新宿ルイード。今もなお伝説とされる夜だ。

 「短い距離で、つばを飛ばしながら、『お前ら本当に自由か?』と。『俺たちが何とかしなきゃ、何も変わんねえんだよ』と、そうゲキられて。こんなところでくすぶっている場合じゃないと思ったんです。そこで一念発起して、勉強を始めて大学へ行こうと思ったんです。子どもの頃の大学生への憧れともリンクして、1年間浪人して勉強したら、奇跡的に明治学院大に合格して。その報告を高校にしたら、第一声が『ウソだろ?』と(笑)。尾崎さんに出会わなかったら、今頃地元の草加で孫の世話をしていたかもしれません(笑)」

□初のNY、ギンズバーグとの邂逅

 1985年に大学入学。同年には女子大生ブームの火付け役となったフジテレビの番組「オールナイトフジ」があまりに過激な内容であることから、衆議院でも問題として取り上げられるなど、第2次キャンパスブームの中で、女子大生が文化を牽引していた。

 「満を持してキャンパスデビューするぞ!テニスサークル入って、合コン、合宿、文化祭で青春するぞ!と思ったんですけど、埼玉県の周りが田んぼの高校から来たので、華麗な明学の軽いノリにまったくついていけなくて(笑)。デビューはできずに、授業に行かず、結局、バイトの日々になりました。また暗黒時代で、まったくいいことなかったですね」

 卒業後も就職せず、表参道の「スパイラル」地下にあるライヴレストラン「青山CAY」でアルバイトの日々を過ごした。時代はバブル。縛られない「フリーター」という言葉が、ポジティブな意味を有していた。

 「バブル真っ只中で売り手市場だったんですけど、就職しちゃうと流されちゃって、ダメになっちゃうなという直感がありまして。だから就職活動をしないという暴挙に出ました(苦笑)。当時は雑誌をやりたいという思いもなく、やりたいことも見えない状況で。フリーター生活もそれなりに楽しかったんです。でも、同級生は社会に出てバリバリ仕事していて、バブルを享受していて…。そんな時に、僕は青山のクラブ『MIX』で、自分でクラブイベントを始めて。佐野元春さんの影響で、DJをバックにポエトリーリーディングをやったんですよ(笑)」

 その頃、元日のニューヨークではダウンタウンでポエトリーのイベントが行われると知った。アメリカを代表するビートニク・ムーブメントの先駆者、詩人のアレン・ギンズバーグらも出演するという。ニューヨークには留学中の友人もいた。これは行くしかない。山崎はNYに飛んだ。海外に出るのは初めてだった。

 「テープを送って、出演のオファーをしました。で、OKと。勇んで行ってみたら、結構誰でも出られる感じだったんですよ(笑)。英語でポエトリーリーディングをやったんです。バックトラックを流しながら。で、詩をずっと読み込んできた、アレン・ギンズバーグさんとも話す機会がありました。初めての海外、初めてのNYだったんですが、街にフリーペーパーやインディペンデントマガジンが結構あって。『こういうふうに、自分たちの世代の感覚で、日本でやれるんじゃないかなあ』って、ふと思って」

□「バァフアウト!」創刊…その名に込められた意味

 帰国後、山崎はクラブイベントの開催に合わせてフライヤーを作りながら、そこに詩・コラムを書くことになった。子どもの頃、「ポパイ」などに憧れたあの熱が再びこみ上げてきた。これをフリーペーパーにして、そして雑誌にするのはどうだろうか。やっちゃおうぜ! 1992年、雑誌は創刊された。

 「名前は『バァフアウト!』にしたんです。アメリカン・アフリカンのスラングで『ゲロ』という意味なんで、来日アーティストに取材する際、必ず大笑いされてまして。『フツー、付ける!そのタイトル?』と(苦笑)。自分たちで自由にやるんだから、何でも思ったことを『吐き出しちゃえ』という意味で。最初は会社にもなってなくて、僕のアパートが根城で、直接、書店に持っていって『置いてください』みたいなところから始まりました」

 そんな「バァフアウト!」は今年、創刊30周年を迎える。音楽に映画、舞台…前を向き、夢をつかもうとする表現者の熱と本音が一冊に充満しているのは、創刊当時から一貫して変わらない。(【後編】へつづく)

 ◆山崎 二郎(やまざき・じろう)1965年、埼玉・草加市生まれ。92年にインディペンデント・カルチャー・マガジン「バァフアウト!」を創刊。2008年には「挑戦し続ける大人たちへ」をテーマにした「ステッピンアウト!」を創刊。エディターのかたわら、著述家、写真撮影、作詞、選曲、ロゴ・デザインと多彩なジャンルを手がけるクリエイターとしての顔も持つ。「週末野球選手」として57歳となった現在も草野球に没頭。今年は76試合に出場し、264打席に立ち、7年連続の100盗塁をマークした。

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