注目されたア・リーグMVPの投票結果が発表され、ヤンキースのアーロン・ジャッジ外野手がエンゼルスの大谷翔平投手とのマッチレースでは、との予想に反し、大差で初受賞を決めた。
ジャッジは1961年ロジャー・マリス(ヤンキース)のア・リーグ記録を更新する62本塁打に加え131打点で2冠王となり、打率もリーグ2位の3割1分1厘。近年成績の指標として重要視されているWAR10・6、OPS1・111もともにメジャーで群を抜く数字で、故障者続出のヤンキースの3年ぶりの地区優勝の立役者となった。
一方の大谷は1918年レッドソックス時代のベーブ・ルース以来となる2ケタ勝利&2ケタ本塁打をマーク。リーグ4位の34本塁打、同7位の95打点に加え、投手としても4位の15勝、4位の防御率2・33、3位の219三振を奪う活躍だったが、46本塁打で9勝を挙げた昨年のインパクトに比べ、本塁打1本に要した打数が11・7から17・2とダウン。もちろんチームの不振も影響したかもしれない。
MVP投票は成績が少しくらい良くてもチームが優勝したかどうかがウエートを占め、最優秀選手というよりも最高殊勲選手の意味合いがまだまだ強い。
最後の4割打者で2度の3冠王獲得のレッドソックスのテッド・ウィリアムズ外野手の2度のMVPは、無冠ながらチームが優勝した1946年と最終戦まで優勝を争って2冠王にもなった1949年の2度。
大活躍して逃した3シーズンの成績は、
▼最後の4割打者(1941年)打率4割6厘、37本塁打、120打点=打率と本塁打の2冠
MVP=J・ディマジオ(ヤンキース)3割5分7厘、30本塁打、125打点=打点王
投票は291対254
▼1度目の3冠王(1942年)打率3割5分6厘、36本塁打、137打点
MVP=J・ゴードン(ヤンキース)打率3割2分2厘、18本塁打、102打点
投票は270対249
▼2度目の3冠王(1947年)打率3割4分3厘、32本塁打、114打点
MVP=J・ディマジオ(ヤンキース)3割1分5厘、20本塁打、97打点
投票は202対201
受賞したヤンキース勢はすべてチームが優勝。レッドソックスもすべて勝ち越して2位と3位に食い込みながら評価が低かった。
ウィリアムズは自伝で1941年のディマジオは56試合連続安打をマークしたこともあり納得している。しかし、1942年には兵役問題が響いたと述懐。それは、徴兵局にいって母親への送金を報告。これによって扶養家族がいることで徴兵延期の措置を受けたのが、嫌われた理由では、と書いている。
そして、1ポイントで逃した1947年は、地元ボストンの記者が10人連記の投票用紙にウィリアムズの名前を書きこまなかったというのだ。それを後で知って激怒したと書いている。
ウィリアムズは太平洋戦争で3年。その後、朝鮮戦争で約2年のブランクがありながら通算521本塁打を積み重ねた。
現役時代から打撃専門打者ルール採用を進言していた、打撃に生きたウィリアムズ。雲の上から、今回の投票結果に関しどう思っているのだろうか。私はジャッジに称賛を送り、そして大谷の活躍も称えているに違いないと思っている。
蛭間 豊章(ベースボール・アナリスト)