南海で野村克也さんの前の正捕手・筒井敬三さんは、1959年にガス中毒で亡くなった

スポーツ報知
1951年日本シリーズの巨人・南海第1戦。6回2死一、三塁、巨人・与那嶺要が一塁から本塁を突き生還。捕手は筒井敬三(10月10日、大阪球場)

 通算215勝の元ロッテ投手・村田兆治さんが11日、自宅の火事により亡くなったニュースは大きく報じられた。死因は煙を吸ったことによる一酸化炭素(CO)中毒とみられる。

 過去に、プロ野球関係者の火事による死去はあったのか資料をたどると、それに近いケースとして火事ではないが、ガス中毒で亡くなったOBがいた。

 1959年12月6日、東京都世田谷区新町にあった東映(現日本ハム)の合宿所の離れで、当時コーチだった筒井敬三さんが倒れているのを同合宿の関係者が発見。玉川署の調べでは、破損しているゴム製のキャップに気付かずガスコンロのスイッチを入れ、湯沸かしを乗せたままにしてあって、ガスが漏れていたという。

 同コーチは家族の住む郷里の和歌山から11月末に上京。当時、岩本義行監督は「来季の投手陣の構想について引っ越しが終わったらゆっくり話し合いたいと言っていた。片腕をもぎ取られたようでこれからどうしてよいか考えもつかない」と話している。

 また、雅子夫人は「夫は15日頃東京から帰って3人の子供らとクリスマスをしたい。また、来年は家も新築したいと言ってました」と話しており、自殺とは考えられないものの、いつも使っているガスコンロだけに謎の多い事故だった。8日に東映合宿所無私寮で葬儀が行われた。まだ、35歳の若さだった。

 筒井さんは1949年当時、南海の正捕手として活躍し4月14日、後楽園球場で行われた巨人・南海戦で、走塁の際に遊撃手の送球を妨害したとして抗議した巨人・三原脩監督に殴打された“三原ポカリ事件”の原因を作った選手として知られている。1946年から1955年まで6度のリーグ優勝に貢献した名捕手。1952年からは背番号をそれまでの2から19に変更。高橋ユニオンズに放出された1956年に、南海でその背番号を受け継いだのが野村克也さんだった。

 1957年大映、翌年東映で現役を引退。59年からコーチを務めていたが、評判も良くゆくゆくは名指導者になるのではとも言われていたという。

 蛭間豊章(ベースボール・アナリスト)

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