【ヒルマニア】村田兆治さんにメジャー殿堂入り選手も「強烈だった」…日米野球で大リーガー翻弄

スポーツ報知
1981年11月3日、全日本選抜として登板した村田兆治さん

 トミー・ジョン手術の前、1970年代後半から80年代初めの村田さんは、鈴木啓示、山田久志、東尾修と並ぶパ・リーグを代表する先発完投、そして緊急時には抑えもやっていた右腕として君臨していた。

 私がいつも楽しみにしていたのが日米野球での村田さんの快投だ。当時としては日本球界を代表する剛速球に大きく落ちるフォークボールで来日大リーガーをきりきり舞いさせた。

 78年、黄金時代のレッズが来日。全日本の一員として3番手で登板すると4イニングを当たり損ないの2安打だけで無失点。バットが何度も空を切って4個の三振を奪ってベンチ、ローズらの強力打線を沈黙させ、アンダーソン監督に「あんなピッチャーはそうは打てない」と嘆かせた。

 翌79年、ア・リーグとナ・リーグの選抜チームが来日して日本で対戦。その間、両リーグ選抜チームが全日本と2試合戦った。村田さんはリリーフで登板し、ともに2イニングをノーヒットで計5奪三振。通算938盗塁をマークして野球殿堂入りをするルー・ブロックが「あの投手は強烈だった」と舌を巻いた。

 圧巻だったのは81年のロイヤルズ戦だ。11月3日、全日本の先発投手としてマウンドに上がった。初回にエイキンズに捕手の梨田との息が合わず投げたカーブをスタンドに運ばれたが、4イニングで打たれた安打はその1本だけで5連続を含む7奪三振。ロイヤルズの指揮を執ったハウザー監督は「文句なしに大リーグ級。速い球にフォークボールを投げ分けられては打てない。ウチの抑えのクイゼンベリーにフォークをマスターするように言ったんだが、うまくいかなかったよ」と絶賛していた。

 その後、野茂英雄、上原浩治がフォークボールを駆使してメジャーに君臨したが、私は村田さんだったら、当時のメジャーでも十分通用したと思っている。

 ご冥福(めいふく)をお祈りします。

 蛭間豊章(ベースボール・アナリスト)

野球

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