【村田兆治さん追悼】強烈だった「人生先発完投」への執念「終わり方が中途半端じゃ悔いが残る」…記者が悼む

スポーツ報知
右肘手術から奇跡の復活を遂げた村田さんはナインの手で高々と舞った。通算215勝目を飾り23年間の野球人生にピリオドを打った(90年10月13日・川崎球場)

 「人生先発完投」

 兆治さんの座右の銘だった。名刺にもその言葉を入れていた。サインを求められると脇に記した。

 現役最終年となった90年には10勝をマーク。最終登板でも145キロを計測した。だが潔くユニホームを脱いだ。数年前にインタビューした際、その時の心境をこう明かしてくれた。

 「先発完投へのこだわりがあったから。100球を投げて試合を作って交代というのは、自分の生き方と違う。最後まで投げられないなら、潔くやめようと。それからは『人生先発完投』に、目標を変えたんだ」

 通算184完投を誇るレジェンドに私は聞いた。完投する上で、一番難しいのは何イニング目ですか?

 しばらく熟考した後、目を見開いて言った。

 「そりゃあ9回だよ。『あと3人だけ』と心にスキができる。これが一番の大敵なんだ。一番のライバルはいつでも己なんだよ」

 「昭和生まれの明治男」と呼ばれた兆治さん。本人の口から語られるエピソードは、現在の球界の常識からかけ離れたものばかりだった。

 右肘痛に見舞われると、シーズン中の5月にもかかわらず和歌山の山中にこもり1か月、滝に打たれて精神修行した。

 右肘手術後の復帰戦では執刀医のジョーブ博士から「100球まで」と厳命されながら、155球で完投した。

 遠征先の宿舎には、ロウソクを持ち込んだという。

 「登板前夜には興奮して寝られなくなるから。『無』になる必要があったんだ。般若心経を唱え、部屋を暗くして、ロウソクに火をつけてね。座禅を組んで、炎を見つめる。すると、最後の消える瞬間に『パッ』と明るくなるんだ。散り際の、最後の一花というのかな。オレもこんなふうに、完全燃焼したいと思ったね」

 現役時代は右肘痛の地獄から生還し、カムバック賞を受賞した。困難に直面し、はい上がろうとする人に希望を与えた。

 そんな兆治さんの、生涯の“ラストイニング”が、自ら招いた部分があるとはいえ、ピンチの連続だったことが、実に悔しい。

 「いいか、加藤君。人生の壁にぶつかった時、どうするか。一番大事なのは、執念だよ。終わり方が中途半端じゃ、悔いが残るだろ」

 兆治さん。どん底からのカムバックは、これからだったじゃないですか。“明治男”のいない野球界は、寂しすぎますよ。(加藤弘士)

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