日本シリーズはオリックスが26年ぶり5度目のチャンピオンに。ワールドシリーズはアストロズが5年ぶり2度目の世界一に輝いた。優勝を決めたプレーは日本シリーズはワゲスパックが塩見を空振り三振に仕留めたが、ワールドシリーズはプレスリーがカステラノスを右翼へのファウルフライに打ち取り、右翼タッカーがつかんでゲームセットとなった。
ファウルフライでの優勝決定など珍しいのではと思って118回目を数えたワードシリーズと73回目の日本シリーズのゲームセットのプレーをすべて調べてみた。
ワールドシリーズでのファウルフライ決着は9度目だが、うち捕邪飛と三邪飛が3度ずつ。外野に飛んだのは1928年ヤンキース・カージナルス戦でフリスドンの左邪飛を“元祖二刀流”のルースがつかんだ。
一方、日本シリーズは2度だけ。2001年ヤクルト・近鉄戦で藤井の捕邪飛を古田がつかんだ。もう一度は1975年阪急・広島戦で大下の右邪飛をウィリアムスがつかんで阪急初の日本一となった。
最も多いゲームセットプレーは当然のように三振だがワールドシリーズが23度に対し、日本シリーズは24度と多くなっている。
サヨナラでの劇的な結末は日本が4度。3本がタイムリー(本塁打はない)だが、1950年毎日・松竹戦では、松竹が三塁からの送球を二塁・金山が落球し、日米通じて唯一のサヨナラ失策で敗れた。
ワールドシリーズは11度あり2本の本塁打含め安打が9度に犠飛。1927年ヤンキース・パイレーツ戦ではパイレーツのミルハスの暴投で三塁走者が生還するという超レアな結末もあった。
日本では1度もないが、ワールドシリーズでは1926年3勝3敗で迎えた第7戦、1点差の9回裏ヤンキースは2死一塁から一塁走者ルースが二盗失敗でカージナルスに敗れた。このプレーは何年も物議を醸していたが、自伝の中でルースは「捕手の虚を突いて、二盗に成功すればスコアリングポジションで同点のチャンスを作れると思ったんだ」と振り返っている。
もう一つ?というプレーは1977年ヤンキース・ドジャース。4点を追うドジャースは9回2死一、二塁で代打レイシー(3打数連続代打本塁打の記録保持者)を起用。ところが、カウント1―1からバントヒットを試みて投手フライでゲームセット。レギュラーシーズンでもこの年2本の代打本塁打を放っている右打ちのレイシー。右投げのトーレスを打てないと思ったのか。この試合はヤンキースのジャクソン3連発として記憶に残る試合だった。
昔のワールドシリーズにはいくつものドラマがあったようだ。 蛭間 豊章(ベースボール・アナリスト)