女優の寺島しのぶ(49)は、役者の道を歩み始めて30年がたった。国内外で得た映画賞は数知れず。演技派として地位を確立してきた。11月には、髪をそり、濡(ぬ)れ場にも挑んだ主演映画「あちらにいる鬼」(11日公開、廣木隆一監督)も控える。寺島が一番嫌いな言葉は「仕方がない」。デビュー時から突き動かしてきたのは「煮えたぎるマグマ」だという。その“マグマの正体”である「芝居の源」に迫ってみた。(内野 小百美)
不思議な女優だ。演技派で知られるが、熱演が前面に出る憑依(ひょうい)型とは違う。力みを感じさせず、役としてリアル的に存在する。これは歌舞伎の名門、音羽屋のDNAによるところもあるのか。
「仕方ない」。寺島が「一番嫌いで許せない言葉」だという。
「どんなときも仕方がない、とだけは思いたくない。しょうがないって何ですか!? この考え方、間違ってます? 仕方がないを取り壊し、乗り越えていくのが生きるってことじゃないですか? 私にとっての仕方ないはイコール、妥協であって負けなんですよね」
過激な言葉を発しているようで柔らかさを内包し、変な圧はない。しかし、マグマみたいなものを抱えてきた。その熱量のほとんどすべてを自身の芝居の限界値を広げるために使ってきた。
感性の根っこに「女性は歌舞伎役者になれない」という物心ついたときの挫折がくすぶり続ける。「両親とその話をしたことはない。母は『知ってると思っていた』と。ある種の怒りを含んだ煮えたぎるもの。自分も意識しない潜在的なところから芝居にぶつけているところは間違いなくあるでしょうね」
一歩間違えば、人生の道を誤っていた可能性もある、ということだろうか。「やっぱり音羽屋に生まれて、愛する家族を悲しませたくないと真っ先に思う。破滅的にならなかった。自分で言うのも変だけど、よく来ましたね、と思うこともあったりして」。正直な人だ。
92年文学座の研究所で役者の道は始まった。寺島が一躍、その実力を証明するのは映画賞を総なめにした「赤目四十八瀧心中未遂」(03年、荒戸源次郎監督)。演じたヒロインは一糸まとわず、背中一面に迦陵頻伽(かりょうびんが)の入れ墨。ハードな濡れ場もあった。
この役は、寺島の信念にも近い思いでつかみ取ったものだった。車谷長吉氏の直木賞受賞作。運命に引き寄せられるように読了すると、読者カードに「映画化のときは自分が演じたい」と書き、投函していた。
「あれを書いてなければ、今の私はない。全く違った人生を送っていた。本によほど感動したんでしょうね。ハガキに何文字書いたことか。いま思えばそのハガキがホントに原作者まで届くかも分からない。便箋で丁寧に送るべきだったかな、と思ったり。あの時も“熱”だけはすごかったから」
有名な話だが、この役に銀幕スターだった富司純子(76)は心配で猛反対。勘当寸前のけんかに発展した。しかし、娘が報知映画賞で主演女優賞に輝いたとき、サプライズで花束を渡したのは母だった。降壇し、会場を出るとき、こう言った。
「もしあのまま、あの子の出演を止めて違う人が表彰されていたら…。私は死んでわびるしかなかった。本当に自分の娘かしらと思うほどの度胸。参りました。もうあの子に仕事で口出しはしません」。母と娘。覚悟と覚悟。壮絶なぶつかり合いがあった。寺島は苦笑し、懐かしむ。「あそこで『仕方ない』と諦めなかったのが、私っていうことなんでしょうね」
あれから19年。「あちらにいる鬼」。道ならぬ恋に落ち、激しく生き抜いた瀬戸内寂聴さんをモデルにした主人公を演じた。出家のてい髪シーンのため、本当に髪をすべてそった。ベッドシーンもある。寺島をよく知る相手役の豊川悦司は「『やっぱりそこまでやるよね、あなたは』という決断をする」と一目置く。
仕事の影響も考えれば特殊メイクも可能だった。しかし、そうしなかった。「どこまですべてをさらけ出せるかが、一番大事だと思ったし。廣木監督も普通に要求してくる人ですから」と一切迷いはなかった。「過程も撮っていたので撮り直しは許されない。髪をそる感覚を知らないまま、演じ続けるのは嫌だった。実際にそうなってみないと、自分の心がどう動くのか、分からなかったので」。何より役にウソをつきたくなかったことが大きい。
寺島には10歳の息子、眞秀(まほろ)がいる。芸事に興味があり、子役として歌舞伎、ドラマにも出ている。思春期も近い。おませな言葉を覚え、母親をびっくりさせる。今回の映画はR15+で15歳未満は見られない。「でも家に置いてあるチラシとか見つけて『これ、エロいやつ?』とわざと聞いてきたりしますからね」。即答でこう返したそうだ。「いいえ、違います。芸術作品です! 15歳になったら、見てください」
将来、どういう道に進むのかまだ分からないが、成長に頼もしさを覚えながら「子供というより、もう一人の男だと思う。これからますますそうなっていく。考えただけでゾッとすることもありますね」
仏人アーティストの夫・ローラン氏は、妻の演者としての才能を深く受け止めている一人だ。どこか同志のような一面を感じさせる。「あちら―」は常識に収まらない特殊な役だった。撮影中、帰宅した寺島の様子が違った。役に没入したままの、ある種の殺気立ったものを感じ取ったのだろう。
「『撮影に集中して。帰らなくていいよ』と言ってくれて。ホテル泊まりを勧めてくれた。本当にありがたかった。役と現実のギャップが激しすぎて。正直、うちに帰ってたら、気持ちの混乱が限界を通り越しそうだったので」と感謝する。夫は公開初日に劇場で“妻の作品”を見るという。
◆海老蔵からヒントドロドロ「納得」
○…寂聴さんと交流のあった歌舞伎俳優・市川海老蔵(44)からもヒントを得た。「人の良いさっぱりした人柄の中にドロドロしたものがある」と。「たかちゃん(海老蔵のこと)のその言葉はサンキューで、すごく納得できた」。子供のときから知る者として13代目市川團十郎白猿を襲名することには「襲名はおめでたい一方で、代々続く名前を継ぐのはとてつもなく大変なこと」と気遣いも。「周囲から『変わる』ことを期待されても彼は変わらないのでは。何も変えない。変えたくない気持ちもあるんじゃないかな」と推察していた。
◆あちらにいる鬼 直木賞作家・井上荒野氏が、父・井上光晴、母、瀬戸内寂聴と実在した人物をモデルに男女3人の特別な関係を描いていく小説を映画化。それぞれを豊川悦司(白木篤郎)、広末涼子(白木笙子)、寺島(長内みはる、寂光)の配役。
◆寺島 しのぶ(てらじま・しのぶ)1972年12月28日、京都市生まれ。49歳。歌舞伎の人間国宝・尾上菊五郎、女優・富司純子の長女。尾上菊之助は弟。92年文学座で女優活動を開始。2003年「赤目四十八瀧心中未遂」で報知映画賞(主演女優賞)、10年「キャタピラー」で世界3大映画祭のひとつ、独ベルリン国際映画祭で銀熊賞(女優賞)。21年「空白」などで報知映画賞(助演女優賞)。主な近作にフジ系「競争の番人」、テレ朝系「ザ・トラベルナース」。「天間荘の三姉妹」(公開中)にも出演。