日本大学駅伝前監督・小川聡さんが死去 体調不良で7月に苦渋の辞任

スポーツ報知
7月末まで日大駅伝チームの監督を務めていた小川聡さん(右)

 7月末まで日大駅伝チームの監督を務めていた小川聡さんが24日午後6時、肝硬変のため、神奈川・藤沢市内の自宅で亡くなった。65歳だった。通夜は29日、告別式は30日、いずれも箱根駅伝コースから近い藤沢市の斎場で営まれる。

 日大、日産自動車で活躍した小川さんは現役引退後、日産自動車コーチ、日大コーチ、横浜銀行女子監督を歴任し、2001~08年、13~16年に日大の監督を務めた。さらに21年4月に監督に復帰。実質的な監督だった1990年代前半のコーチ時代を含めると、異例となる4度目の就任となった。

 箱根駅伝で出場89回、優勝12回。ともに歴代3位を誇る名門の日大は近年、苦戦が続く。小川監督が「再々々登板」となった昨年10月の箱根駅伝予選会では日大史上ワーストとなる21位まで落ち込んだ。しかし、今年6月の全日本大学駅伝関東選考会では7位通過し、本戦(11月6日)の出場権を2年ぶりに獲得。ようやく復活の兆しを見せた。

 ただ、小川さんの体調は思わしくなく、6月の全日本選考会の直前も入院していた病院からグラウンドに通うこともあった。小川さんは苦渋の判断で7月31日付で日大に「辞任願」を提出し、受理された。

 小川さんの後任が未定のまま臨んだ今年の箱根予選会(10月15日)は13位で3年連続敗退。それでも、昨年の21位から躍進した。箱根路への返り咲きはならなかったが、伊勢路には3年ぶりに参戦する。全日本大学駅伝出場権は、日大を愛する小川さんの最後の「置き土産」という形になった。

 ◆小川 聡(おがわ・さとし)1957年8月14日、相模原市生まれ。76年日大高から日大入学。箱根駅伝に4年連続出場し、1年6区4位、2年7区3位、3年1区4位、4年1区6位。80年に日産自動車に入社。引退後、指導者に転身。2001~08年の日大監督時代には母校を出雲駅伝で3回、全日本大学駅伝で1回の優勝に導いた。主な教え子に箱根駅伝に2度出場したタレントの和田正人、09年世界陸上マラソン代表の清水将也(現旭化成コーチ)ら。

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