放送記者のスクープから誕生したジャイアント馬場さんの全日本プロレス…きょう50周年

スポーツ報知
1972年1月11日付「報知新聞」

 全日本プロレスは22日に創設50周年を迎え、創始者のジャイアント馬場さん(1999年に61歳で没)の故郷である新潟・三条市の厚生福祉会館で「全日本プロレス50周年記念大会 in 三条~王者の魂~」を開催する。旗揚げ戦は、1972年10月22日に東京・日大講堂で行われ、馬場さんは、ブルーノ・サンマルチノと世界ヘビー級タイトル争覇予選を戦った。

 全日本プロレスは、馬場さんと日本テレビが、日本プロレスから離脱して創設したことは有名だが、そのきっかけは、放送担当記者のスクープからだった。1972年1月11日付の報知新聞は、芸能面トップで「ジャイアント馬場戦 NETでも放送」「日本テレビが解禁 プロレス界発展のため」「猪木除名で協会に申し入れ NET」と報じている。

 日本テレビでしか見られなかった馬場さんの試合を日本プロレス(芳の里淳三社長)がNET(日本教育テレビ=現テレビ朝日)にも中継させるというニュースだった。記事を引用すると…。

 「これまで日本テレビの『日本プロレス中継』(金曜・後8時)に独占されていたジャイアント馬場戦が、NET『ワールドプロレス』(月曜・後8時)でも放送されることになった。NETのプロレス番組は日本プロレス協会との約束で、アントニオ猪木を中心にしたゲームにしぼられていたが、昨年(1971年)12月、猪木が同協会から除名されたため、頼みの猪木戦も放送不可となり、同局では協会側に馬場の“解禁”を申し入れていた。これに対して日本テレビ側が非公式ながら『局としては馬場の解禁に反対しない』という方針を打ち出したため、早ければ2月からNET番組にも馬場が登場する可能性が出てきた」

 このスクープは的中し、4月3日に馬場のNET登場が実現。新潟市体育館大会を午後8時から生中継したNETは、メインイベントの馬場、坂口征二組VSディック・マードック、マイティ・ブルータス組の放送を強行した。

 この顛末は、手前ミソながらスポーツ報知の福留崇広記者が出版したノンフィクション「テレビはプロレスから始まった 全日本プロレス中継を作ったテレビマンたち」(イーストプレス、2090円)に詳述されている。同書は「全日本プロレス中継」の初代プロデューサーで元福岡放送会長の原章さんら番組ディレクター、徳光和夫、倉持隆夫、若林健治、福沢朗ら実況アナウンサーを取材し、番組にかけた情熱を描いている。

 原さんは同書で「馬場さんは日プロに怒っていました。『俺は日本テレビに育てられたスターである』って言っていました」「NETに出ることに馬場さんは不満を持っていました」「日プロを辞めてもいいという気持ちを持ち始めていたようです」と語っている。「報知新聞の記事が問題になった」とも述懐しており、スクープの影響力を裏付けている。

 馬場さんは日本テレビの全面協力のもと全日本プロレスを旗揚げした。NETは馬場さんがいなくなった日本プロレスから手を引き、アントニオ猪木さん(今月1日、79歳で没)が旗揚げしていた新日本プロレスに乗り換えた。現在、「全日本プロレス中継」はCS放送のGAORAが受け継ぎ、ネット中継「全日本プロレスTV」もあるが、9月18日の「50周年記念大会」(東京・日本武道館)はBS日テレが生中継。そこでも流れた馬場さんの試合映像は日テレだけのお宝だ。50年前の馬場さんの願いは守られている。(酒井 隆之)

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