斉藤立、銀メダル「悔しい。経験不足、研究不足、実力不足」父の故・仁氏との日本勢初の親子制覇はお預け

スポーツ報知
斉藤仁・斉藤立比較表

◆柔道 世界選手権 第7日(12日、ウズベキスタン・タシケント)

 男子100キロ超級で斉藤立(たつる、20)=国士舘大3年=が初出場で銀メダルを獲得した。準決勝まで4試合連続一本勝ち。決勝はアンディ・グランダ(キューバ)に指導3による反則負け。父で五輪2連覇の仁氏(享年54)は無差別級で1983年大会を優勝。父に続き、世界選手権の表彰台に立った。

 斉藤は膝に手をつき、がっくりとうなだれた。世界ランキング12位のグランダとの決勝。スピードを生かして技を繰り出す相手に間合いを詰め切れない。6分24秒、3つ目の指導を受けた。あと一歩で頂点を逃し「ものすごく後味が悪い。悔しい。経験不足、研究不足、実力不足」。声を震わせ、自分を責めたが、初戦から大外刈り、内股、足車と3試合で技による一本を奪い、準決勝は同1位のラヒモフに勝利。同34位のノーシードから銀メダルをつかんだ。

 父譲りの191センチ、165キロの体格に足のサイズも34センチと規格外。しなやかさも兼ね備え、大器と期待されてきた。腰や膝のけがに苦しんだ時期が長く、目指していた東京五輪代表を争うことはかなわなかったが「冷静に考えると出られる状況でもなかった」と受け止め、24年パリ五輪へ再出発。大学の陸上部のトレーニングにも週3~4度参加し、巨体を揺らしながらダッシュに励んで足腰を鍛えた。4月の全日本選手権で史上初の親子Vを達成したが「五輪で優勝するから、ここで気を抜くことはできない」と突き進んだ。

 大会までの半年間も順風満帆ではなかった。全日本選手権で右膝を痛めて調整が遅れ、6月の全日本学生優勝大会の代表戦で90キロ級の村尾三四郎に柔道人生で最も悔しいという敗戦を喫した。直後のモンゴル合宿は「病んでいた。病み期でした」とふさぎ込んだ。

 7月のGSハンガリー大会は欠場したが、鈴木桂治監督に促され現地に帯同。五輪3度、世界選手権10度制覇のテディ・リネール(フランス)の優勝を見届け「正直行きたくなかったけど、心境が変わった。上には上がいると思って燃えた」と闘争心をかき立てられた。

 15年に死去した父の病床での最期の言葉「稽古、行け」を胸に精進してきた。大会前、父の墓前で「思い切ってやってきます」と誓った。日本柔道初の親子2代制覇に惜しくも届かなかったが、まだ20歳。五輪、世界選手権で、偉大な父と肩を並べるチャンスはこれからも訪れるはずだ。

 ◆立に聞く

 ―結果を受けて。

 「悔しい。お母さんも来ている。応援してくれた人たちにすごく申し訳ない気持ちでいっぱい」

 ―手応えを感じた部分。

 「(襟と袖を)持てた。技を出す時もしっかりできたんじゃないか。決勝は全然良くなかったので、そういうのも全部かき消された」

 ―決勝は指導3で敗戦。

 「みんなに『行け』と言われたが、突っ込んで投げられるぐらいなら、もう少し我慢して持てればと考えた。あんな負け方をするなら、全部出していけば良かった」

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