エンゼルス・大谷翔平投手(28)が、敵地・アスレチックス戦に「3番・投手、DH」でフル出場。5回1安打1失点で降板して9敗目(15勝)を喫したが、メジャーでは自身初の規定投球回に到達した。ワールドシリーズが始まった1903年以降、現行制度(規定投球回=試合数、規定打席=試合数×3・1)に当てはめると、メジャー史上初めて「ダブル規定」を達成し、米5年目のシーズンを締めくくった。メジャー担当44年の「ヒルマニア」こと蛭間豊章記者が「規定」についての意外な事実を明らかにした。
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大谷翔平投手が規定打席と規定投球回の両部門をクリアするという素晴らしい快挙を達成した。そこで打率と防御率の規定の成り立ちを調べてみた。すると、面白い事に出くわした。
打率のランキングとなる規定打席は、メジャーでは1957年に試合数×3・1と決まった。それまでは原則として400打数か100試合出場(年間試合数が少ないときは90試合)など曖昧だったが、1954年にテッド・ウィリアムズ(レッドソックス)が首位打者よりも高い3割4分5厘をマークしながら136四球もあって386打数に終わったことで、規則が改正になった。
一方、防御率ランキングの規定投球回(試合数×1イニング)は1951年からスタートした。それまではこちらも、紆余曲折だが、多くは年間10完投以上という内規があり、スポーティングニューズ発行のレコードブックにはその詳細が注釈として書かれている。
ベーブ・ルースが二刀流でプレーした1918年は現行の規定投球回はクリアも390必要な規定打席には382で及ばす。1919年は規定打席は達していたが138イニング必要な投球回が133回1/3だった。
しかし、当時の規則に当てはめれば1918年が95試合出場&18完投、1919年は130試合&12完投で両年ともクリア。当時発行されていたガイドブックのランキング表に、ともに掲載されている。今回の大谷に関しては、データサイトのベースボール・リファレンスなどが、昔の規定を無視して、現在の規定に当てはめた上での、1903年以降初の快挙ということになる。(蛭間 豊章=ベースボール・アナリスト)