師匠力道山との出会い「夢が向こうから来た」…永遠のアントニオ猪木伝説【1】

スポーツ報知
アントニオ猪木さん

 元プロレスラーで元参院議員のアントニオ猪木さん(本名・猪木寛至)が1日朝、都内の自宅で亡くなった。79歳だった。「燃える闘魂」を掲げプロレス界、政界で果敢に挑戦を繰り返した猪木さん。「WEB報知」では「永遠のアントニオ猪木伝説」と題し、猪木さんが取材、インタビューなどで残した様々な秘話を家族葬が営まれる日まで連載する。第1回は「師匠力道山との不思議な縁」。

 横浜・鶴見で生まれた猪木さんは、11歳の誕生日前日となる1954年2月19日に力道山が蔵前国技館で木村政彦とタッグを組んでシャープ兄弟との試合をテレビで見たという。

 「自宅の近所の家にテレビを持っている家があって、それから力道山の姿を見て“いつかプロレスラーになりたい”と思った」

 身長も同級生より二回り以上、大きかった猪木さんには、相撲部屋のスカウトが来たこともあったという。しかし3年後の14歳だった57年2月に祖父、母、兄弟と共にブラジルへ移住する。しかし、17歳になった60年春、ブラジルへ遠征に訪れた力道山と出会いプロレスへスカウトされた。

 「人生に不思議な縁というものがあるのなら、この出会いがまさにそれでね。プロレスラーになりたいと思っていた俺だけど、ブラジルへ行ったことで夢は遠ざかった。ところが、力道山がブラジルへ来て、夢の方から俺のところへ来てくれた。これは、理屈では説明できない、まさに運命。そうとしか表現のしようがない」

 力道山のすごさを目の当たりにした風景がある。それは、師匠と共に飛行機で帰国した羽田空港だった。すさまじい数のファンが力道山の帰国を待ち受け、文字通り鈴なりになっていたのだ。

 「俺にとって3年ぶりの日本だったけど、空港に降りた時のあの人が群がっている光景はすごかった。それまでブラジルのコーヒー農園で働いてた俺にとって大げさでなく、日本中の人が力道山のために空港へ集まったのかと思った」

 日本プロレスに入門すると全国各地のプロレス巡業でどこへ行っても力道山を待つおびただしい数のファンを目撃した。

 「本当にプロレスの人気はすごかった。プロ野球とか大相撲とかあるけど、他のどんなものよりプロレスの人気が一番だった。俺の中には常にあの時の活気を取り戻したいっていう思いがあった」

 猪木さんは、師匠が実現した日本中がプロレスで沸き上がる光景を常に復活させたい思いがあった。力道山を超えようという情熱が新日本プロレスを旗揚げした後に発露した。それは事業もそうだった。

 「力道山は不動産関係の事業が主だったけど、俺はそうじゃなくてもっと世界に通用する事業を手がけたかった」

 力道山は主に赤坂の土地を買い占め、さらに相模湖にレジャーランド、ゴルフ場建設など不動産で財をなした。猪木さんは、実業家としても師匠を超えたかった。そして、猪木さんが超えようと挑んだのは力道山だけではなかった。

(福留 崇広)=つづく=

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