元プロレスラーで元参院議員のアントニオ猪木(本名・猪木寛至)さんが1日朝に79歳で亡くなったことを受け、テレビ朝日系「ワールドプロレスリング」で数々の名勝負を実況したフリーアナウンサーの古舘伊知郎氏(67)が同日、スポーツ報知などの取材に応じた。古舘氏はテレビ朝日に入社した77年10年間で、同番組の実況を担当。あらゆる表現を駆使して、猪木さんの戦いを伝え、私生活でも親交があった。この日夕方、自宅に弔問に訪れ無言の対面。「闘魂は輪廻(りんね)転生する」と猪木さんの足跡に思いをはせた。
2年ほど前から、定期的にお見舞いをしていましたが、今週の火曜日に電話で「会いたい」と呼ばれました。(別室の)我々のところに、車いすで来てくれたのですが呼吸も浅いし、しゃべるのもつらそうで。「ベッドに行きませんか」と移ってもらい、足をさすったりして、ずっと横にいました。聞き取れない言葉もあったんですが、しっかりと聞き取ったのは、パッと目を開けて「明日、仕事早いの?」って。それが最後の会話になりました。
アントニオ猪木という存在は、宿命的に何かと闘い続ける人だったと今にして思います。プロレス、政治、最後は病魔。徐々につらくなっていく姿をここ数年で見ましたが、それも全部さらす。スターの習性なのかもしれませんし、ファンに対するサービス精神なのかもしれません。
とにかくよく笑い、冗談やダジャレを言い、わいわいやるのが好き。その輪の中にいるだけで元気が出たし「頑張ってしゃべろう」と思わせてくれた恩人です。ヒロ・マツダさんの「猪木は相手が竹ぼうきでも名勝負に見せる」という名言があり、作家の村松友視さんは「猪木は闘う相手に金無垢(むく)の衣装を着せる」と言った。まさにそう思います。
87年、僕が実況生活に幕を閉じる時、セレモニーで胴上げされたあと、新日旗揚げの1972年のワールドチャンピオンシップ(カール・ゴッチ戦)のベルトをいただいた。3か月後にレプリカに交換されることになって、猪木さんに電話して「本物をもらいたいんですけど」とお願いしたら、「いいですよ!」って。今でも自宅で大切に保管してあります。
夕方、お顔を見に行きました。苦しみから解放されたいい顔で、元気なころの猪木さんを思い出しました。98年の引退試合の実況で、僕は「我々は今日をもって猪木から自立しなければならない」と言いました。でも、今、考えてみたら甘かった。リングを降りても、アントニオ猪木は決して卒業していなかった。今、本当の意味で猪木さんの不在を感じています。闘魂は輪廻転生し、再び動き出します。ずっと苦しかったので、しばし休息してほしい。それでも、今生にいなくなったということが、とても寂しいです。(談)