アントニオ猪木さんが北朝鮮で舌を出した日 フレアー戦が真の引退試合だった…担当記者が悼む

スポーツ報知
1995年4月、北朝鮮の高麗ホテルで検査を受けるアントニオ猪木さん(左)

 元プロレスラーで元参院議員のアントニオ猪木さん(本名・猪木寛至)が1日、都内の自宅で亡くなった。79歳だった。元担当記者が猪木さんの思い出を振り返った。

 今でもあの北朝鮮でのリック・フレアー戦が猪木さんの引退試合だと思っている。1995年4月28、29日にメーデースタジアム「平和のための平壌国際体育・文化祝典」(北朝鮮平和の祭典)を特派員として同行取材した。最終日(2日目)のメインイベントで元NWA世界ヘビー級王者のフレアーと初のシングルマッチを戦った。14分52秒、延髄斬りからの体固めで勝利。米国の王者を相手に繰り広げた勧善懲悪の力道山プロレスだった。

 北朝鮮で買った力道山の伝記(観光客向け英語版)では、米国の世界王者、ルー・テーズが悪人として描かれていた。その世界の権威を受け継いだフレアーを猪木さんは怒りの鉄拳で打ちのめし、主催者発表19万人の大観衆は地鳴りのような歓声を送った。

 同行した直木賞作家の村松友視さんは「プロレスもアントニオ猪木という人物も、そして北朝鮮という国も、自分の目で見て初めて理解できると感じた」と話していた。

 大一番を前に故・金日成主席の生家がある万景台を訪れ、「師匠である力道山の故国で最後を飾ることができれば、最高の私の幕引きです」と引退試合かのように語り、世界に打電された。

 取材は自由にできず、通訳という名の監視員がホテルの部屋までついてきて、ベッドで寝るまで離れなかった。試合翌朝、訪朝団が泊まった最上級の高麗ホテルで、1対1のチャンスを得た。ホテル内のメディカルチェックのブースに1人で入ったのを追った。そこで猪木さんは舌を出すよう促され、「べー」のポーズ。猪木が舌を出すのは、あのハルク・ホーガン戦(83年IWGP決勝)での“舌出しKO事件”以来か。使わずにいた写真をここで蔵出し。

 健康と認定されてご満悦の猪木に「フレアー戦の感想は?」と聞くと「感想? うーん、人生完走したというか」とダジャレで返し、「完走」を強調。結局は98年4月の引退試合まで10試合こなした。訪朝は病に倒れるまで数十回繰り返し、国会から懲罰動議にかけられながらも舌を出し続けた“闘魂外交”だった。(酒井 隆之)

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