パラオ「イノキ・アイランド」でアントニオ猪木さんからもらった「一歩踏み出す勇気」…担当記者が悼む

「ダー!」を決めるアントニオ猪木
「ダー!」を決めるアントニオ猪木

 元プロレスラーで元参院議員のアントニオ猪木さん(本名・猪木寛至)が1日、都内の自宅で亡くなった。79歳だった。元担当記者が猪木さんの思い出を振り返った。

 約22年前の2000年5月。パラオの「イノキ・アイランド」(通称・猪木島)に猪木さんに同行取材した。当時K―1から離脱し格闘界で孤立していた佐竹雅昭に猪木さんが手を差し伸べ、南国の大自然で闘魂注入の特訓を行うという“企画”だった。

 猪木島はパラオの独立前からサンゴの保護活動などを行ってきた猪木さんに、パラオの族長が感謝の証として贈った島。本当に実在した南国の楽園で語った猪木さんの言葉が忘れられない。迷える子羊、佐竹と酒の席に呼ばれ、「リングの上だけじゃなく、社会においても、人は一つ上にいくと必ず壁にブチ当たる。その時、お前ならどうする?」と聞かれ、答えに迷っていると、「一歩踏み出す勇気を持て!」と、肩をバシッと叩かれた。

 格闘家だけでなく、多くのファンもまた生きていく上で背中を後押しした言葉だったはずだ。実現不可能と笑われ、後世に歴史的名勝負と言わしめたモハメド・アリとの異種格闘技戦など炎のファイターの歴史をつむいできた開拓精神もまたこの言葉に集約されていたと思う。

 記憶に残る数々の名勝負は「表現」であり「作品」だった。猪木さんが常々、口にしていた持論は「風車の理論」。風は強いほど風車もよく回るように、相手の力を限界以上に引き出し、さらに自分も相手を上回る力を出し切って、ともに輝くという哲学である。引き分けに終わったアリ戦やマサ斉藤との巌流島の戦い、記憶に残る戦いはいずれもそうだ。“狂虎”タイガー・ジェット・シンの新宿襲撃事件しかり、因縁などの話題で盛り上げ、対決リングで一気に昇華させていくストーリー作りと発想力はすごかった。

 数多くの失敗から学び、たどり着いたのが、広辞苑に入れたいぐらいの「元気があれば何でもできる」。この最強メンタルと「一歩踏み出す勇気」で何にでもチャレンジ。実業家としても異才を放った。かつては「アントン・トレーディング社」という貿易会社を経営し1970年代に当時の日本で唯一「タバスコ」の輸入・販売権を所有。日本に存在を広めたきっかけは作ったが、儲けが出る前に権利を手放し「時代が俺についてこれなかったんだな」と笑ったことがあった。

 リング外の数々のサイドビジネスで最も印象に残っているのが「永久発電機」。記者会見がすごかった。「無から電気を生み出す」という奇跡の発明に海外の名だたるメディアも興味を示して集結。仰々しい機械の上にポツンと乗っかった豆電気が点灯すると成功という触れ込みだったが、ブーンと大きなうなりを上げるだけで、うんともすんともいわない。機械を発明したという博士が「おかしいな」と機械のふたを開けると中から姿を見せたのが乾電池(単三)。報道陣はさっさと会見場を後にした。ポツンと残された猪木さんの表情には元気がなかったのが忘れられない。

 現役引退後に訪れた猪木バブル絶頂期には「一発20万円」のデマまで流れた代名詞の「闘魂注入ビンタ」に長蛇の列ができた。報道陣もついでにとバシバシやられる状況で、やんわりと断ると「空気を読まないヤツはダメだ」とグーでコツンとやられた。たくさんの人に勇気、元気、空気を与えてくれた人だった。(96~05年プロレス担当・小河原 俊哉)

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