三遊亭円楽さん死去 72歳肺がん…「笑点」で活躍、脳腫瘍、脳梗塞乗り越え高座復帰果たすも力尽きる

スポーツ報知
三遊亭円楽さん

 日本テレビ系演芸長寿番組「笑点」の大喜利メンバーで活躍した人気落語家・三遊亭円楽(さんゆうてい・えんらく、本名・会泰通=あい・やすみち)さんが30日、肺がんのため都内の病院で亡くなった。72歳。所属事務所が公表した。葬儀は近親者で行う。後日、お別れの会を開く予定。円楽さんは18年に初期の肺がんが判明。脳腫瘍、脳梗塞(こうそく)と度重なる病気に見舞われながらも今年8月に高座復帰したが、同月末に肺炎で再入院していた。所属会派の垣根を越えて「博多・天神落語まつり」をプロデュースするなど、落語界の発展に尽力した。

 落語界のオピニオンリーダーとして走り続けてきた円楽さんが、静かに天国へと旅立った。8月26日に軽度の肺炎で都内の病院に入院。肺炎は治癒し、28日の五代目円楽一門会での復帰に向けて、肺がんの治療に移った直後だった。関係者によると、前日には弟子の電話に、入院前の変わらぬ元気な声で応答していたが、この日容体が急変。病院から連絡を受けた家族や弟子が急きょ駆けつけたが、すでに息を引き取った直後だった。まるで眠っているかのような穏やかな表情だったという。

 円楽さんは70年にかばん持ちのアルバイトとして師事していた5代目・三遊亭円楽さん(09年死去、享年76)からスカウトされ入門。「楽太郎」を名乗り二ツ目昇進直後の77年に「笑点」メンバー入り。政治風刺などのインテリ風な役回りや腹黒キャラで頭角を現し、司会の桂歌丸さん(18年死去、享年81)との罵倒合戦で国民的な人気と知名度を得た。

 本業の落語では大師匠の三遊亭円生さん一門が78年に落語協会を脱会してから、5代目・円楽さんとともに円楽一門会として活動。2007年からは協会、会派の垣根を越えた「博多・天神落語まつり」をプロデュースし、落語界全体の発展に尽力した。

 近年は病気との闘いだった。ヘビースモーカーだったが、歌丸さんが肺炎で闘病するとキッパリと禁煙。18年には初期の肺がんとなったが、ダビンチと呼ばれる最新鋭の手術で、仕事に穴を空けることなく、約10日間でスピード復帰した。19年には脳腫瘍となるが約1か月で復帰。患部に集中的に放射線投射を受け、その部分の髪の毛が薄くなったのを気にしていた。それでも高座で「肺がんと言われた時は、ガーンと思った」「脳腫瘍になってどうしゅようかと…」「芸人の前に病人です」とネタにして気丈に高座を勤めてきた。20年には肺がんが再発。今年1月には自宅で倒れ、脳梗塞で入院した。左半身にまひが残り、口跡もはっきりしない中、懸命なリハビリを経て8月11日に国立演芸場で高座復帰。「入場料だと思うから腹が立つ。お見舞い金だと思ってくれ」と笑いに変えていたが、同20日の中席千秋楽が最後の高座となった。

 肺がんの治療は、抗がん剤を変えながら何十回も繰り返し、担当医が「ここまで何ターンも繰り返して治療を続けられるのは奇跡」と驚くほどの回復を見せた。「がんとは付き合っていくしかない。医学の進歩に助けられているよ」とこぼしたが、病気に良いというものは何でも取り入れ、食が細くなると、点滴で栄養補給した。肺にたまった水を何度も抜くなど、病と向き合い、楽屋でも直前まで横になり呼吸を整えながら高座に上がり続けた。

 夢は落語界全体の“統一”と自身の7代目・三遊亭円生襲名。昭和の名人と呼ばれた大名跡でもあり反対の声もあったが、「中継ぎでもいい。一度、世に出さないといけない」と意欲を語っていた。志半ばで旅立った円楽さんだが、落語界にまいた多くの種はいつか花を咲かせるはずだ。

 ◆三遊亭 円楽(さんゆうてい・えんらく)本名・会泰通(あい・やすみち)。1950年2月8日、東京・両国生まれ。5代目・円楽さんにスカウトされ、70年4月に入門し「楽太郎」を名乗る。76年に二ツ目昇進し77年から「笑点」の大喜利メンバーになる。81年、真打ちに昇進。07年から「博多・天神落語まつり」をプロデュース。2010年3月、6代目・円楽を襲名した。

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