◆米大リーグ ブルージェイズ3―8ヤンキース(28日・トロント=ロジャーズセンター)
ヤンキースのアーロン・ジャッジ外野手(30)が28日(日本時間29日)、敵地のブルージェイズ戦で8試合ぶりとなる61号2ランを放ち、1961年ロジャー・マリス外野手(ヤンキース)のア・リーグ記録に肩を並べた。この記録の歴史的価値を含めてヒルマニアがひもといた。
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7試合、34打席ブランクが続いたジャッジのバットが火を噴いたのは7回だった。無死一塁、左腕メイザの8球目の真ん中シンカーをたたいた打球は角度22度、初速117マイル(約188キロ)の弾丸ライナーとなってわずか3秒4の速さで左翼ブルペンに飛び込んだ。飛距離394フィート(約120メートル)の会心の打球にジャッジは笑顔を見せながらダイヤモンドを一周。両親らが詰めかけたネット裏方向に向かって左手人さし指を突き上げた。
「(記録は)非常に栄誉なこと。ルースに並んだばかりなのに、今度は61本でMVP、世界チャンピオンになった右翼手(61年のマリス)に並ぶなんて」
3万7000人余の敵地ファンも総立ちで拍手を送りホームインした後は、ナインと次々に抱き合って感激に浸った。ジャッジは生後すぐに養子に出され、教師の両親に育てられた。誠実な性格は球界でも広く知られており、この日も「両親のお陰。母(パティさん)がいなければヤンキースの選手になっていない」と感謝の気持ちを伝えた。
メジャーで62本以上打っているのは3人(6度)いるが、ボンズを始め、いずれも90年代後半から2000年代初頭に生まれた記録ばかり。禁止薬物使用が疑われるようになった時期(規定がスタートしたのは04年)で、当時の記録を快く思わないファンの多くがマリスの61本こそ“真の本塁打記録”と呼んでいた。
そのマリスも61年から8試合増の162試合制で作った記録だったため、当時のコミッショナーが認定しない(91年に認定)などの逆風もあった。それだけに愛着もあり、長男のマリスJr.は球場に駆けつけて見届けた。「偶然にも彼(の背番号)は99。父は9をつけており、因縁を感じる。父が61本打った10月1日に62本になっているだろう。そうなったら、彼こそシーズンの最多本塁打記録者として尊敬されるべき」とエールを送った。
残り7試合。確実視されているア・リーグ本塁打新記録とともに、現在3部門トップだけに、史上初の60本塁打以上を打っての「超大型3冠王」を目指し、歴史的シーズンを締めくくりたい。(ベースボールアナリスト・蛭間豊章)
◆アーロン・ジャッジ(Aaron Judge)1992年4月26日、米カリフォルニア州生まれ。30歳。生後まもなく教師だった両親の養子に入った。2013年ドラフト1巡指名でヤ軍入り。17年52本塁打で本塁打王と新人王。メジャー通算723試合で打率2割8分4厘、219本塁打、496打点。右投右打。201センチ、128キロ。今季年俸1900万ドル(約26億6000万円)。