【中日】荒木雅博コーチが同学年の福留孝介に惜別手記「弱みや苦しみを見せずに貫き通した24年」27年前のドラフトの因縁

スポーツ報知
試合前、ノックを受けた福留孝介に合図する荒木雅博コーチ(カメラ・豊田 秀一)

◆JERAセ・リーグ 中日―巨人(23日・バンテリンドーム)

 今季限りで現役を退く中日・福留孝介外野手(45)が引退試合に臨み、同学年の荒木雅博内野守備走塁コーチ(45)がスポーツ報知に独占手記を寄せた。1995年のドラフトで福留の抽選に敗れた中日が外れ外れ1位で指名したのが荒木コーチ。3年後にチームメートとなり、切磋琢磨(せっさたくま)した2人は黄金時代を支え、そろって通算2000安打も達成した。

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 孝介の外れ外れ1位で指名された27年前のドラフト会議。「福留選手には絶対負けません!」と高らかに宣言していたそうだ。実は全然、覚えていない。言っていたとしても、本心ではないし、報道陣の空気を察して、そういう発言をしたんじゃないかな。当時から絶対に勝てるわけがないと思っていたから。

 高校1年生からスーパースターで雲の上の存在だった。あのドラフトから3年後、孝介が逆指名で入団してきた時は「自分は外野手として使われるんだろうな」と覚悟を決めた。でも彼が外野手で僕が内野手としてレギュラーになって、共に上位打線も任せてもらえた。リーグ優勝も経験できた。本当に不思議な縁を感じている。

 よく食事にも出かけたし、プライベートでもずっと一緒だったけど、真っ先に記憶にあるのはキャンプ地の沖縄・北谷の室内練習場だ。全体練習が終わった後、「トラ(※1)行くぞ!」と声をかけられ、2人で特打に励んだ。一緒に打っていると、人工芝の辺り一面がボールでいっぱいになる。「先に帰って孝介だけにボール拾いをさせるのも悪い」と思って必死についていった。次第に「練習量だけでも負けたくない」と思うようになった。もちろん彼は僕のことなんか気にせずに黙々とスイングしていたけど…。

 毎日のように2人で大カゴに入った400球を打ち続けた。2箱分、打った時は辺りの日が暮れ、真っ暗になっていた。練習というのは「もう無理だ」と思ったところから、プラスアルファでやった分だけうまくなると思っている。その限界を突破してくれたのが孝介の背中だった。彼がいなければ、2000安打も達成できていないし、23年の現役生活なんてあり得なかった。

 孝介の泰然自若とした姿を見ていると、三国志演義の関羽(※2)と重なるんだ。毒矢が刺さっても、麻酔なしで左腕を切開し、その途中に酒をたしなんでいたという豪傑。群雄割拠の時代の将軍のように、何事にも動じない男だった。若手時代に、移動の飛行機がめちゃくちゃ揺れて、チームメートはみんな青ざめていた。孝介だけは顔色一つ変えずに悠然と漫画を読んでいたよ。

 この2年は、ドラゴンズに帰って来て、若手にその生き様を見せてくれた。あれだけ実績ある選手が、ここまで練習する姿を後輩たちの目に焼きつけてくれたのは何よりの財産だ。引退の報告を電話で受けた時は「お疲れさま」と言いつつも「卒業おめでとう」という感情が湧いてきた。責任感があって、弱みや苦しみを一切見せずに貫き通した24年。よろいを脱いで、鉄の仮面を外せる時が来たんじゃないかな。

 孝介、ご苦労さま。本当にありがとう!

【注釈】

※1 荒木コーチの愛称。元タレントの荒木定虎が由来。

※2 西暦200年前後の三国時代に活躍した蜀の将軍。「桃園の誓い」で義兄弟の契りを結んだ皇帝・劉備を支え、武勇に優れているだけでなく、義理人情にも厚かった。

 ◆荒木 雅博(あらき・まさひろ)1977年9月13日、熊本・菊陽町生まれ。45歳。菊陽中で野球を始め、熊本工2、3年時にセンバツ出場。95年ドラフト1位で中日入り。07年盗塁王。ベストナイン3度、ゴールデン・グラブ賞6度。17年に2000安打達成。18年限りで現役を引退し、2軍内野守備走塁コーチを経て、現在は1軍守備走塁コーチ。180センチ、77キロ。右投右打。

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