あの日テレビの前で胸を躍らせた名勝負、レジェンドが振り返るあの一戦から、世界最大のプロレス団体WWEで活躍中の日本人スーパースターの最新情報まで、プロレス&格闘技の様々な情報をお届けする「ファイト報知」。担当記者の熱がこもった原稿をお楽しみください。

藤波辰爾「50年の名勝負数え唄~WRESTLING JOURNEY~」<62>リック・フレアーとドームでダブルタイトル戦…1991年3・21東京ドーム【前編】

藤波辰爾
藤波辰爾

プロレス界のレジェンド藤波辰爾(68)が今年、デビュー51年目を迎えた。16歳で日本プロレスに入門し、1971年5月9日に岐阜市民センターでの新海弘勝(北沢幹之)戦でデビューした。スポーツ報知では半世紀を超える数々の名勝負を藤波に取材。「藤波辰爾、50年の名勝負数え唄~WRESTLING JOURNEY~」と題し、毎週金曜日に連載する。62回目は「リック・フレアーとドームでダブルタイトル戦…1991年3・21東京ドーム【前編】」。

 腰椎の椎間板へルニアで約1年3か月の長期欠場を経て1990年9月30日に横浜アリーナでの5分間の越中詩郎とのスーパー・エキシビションマッチで復活。そして、復帰から3か月後の12月26日、浜松アリーナで長州力を破りIWGPヘビー級王座を奪還した。

 そして年が明けた91年。藤波にさらなるビッグチャンスが巡ってきた。それが3月21日の東京ドーム大会でNWA世界王者リック・フレアーとのダブルタイトルマッチだった。試合はマッチメイカーの長州から打診された。

 「長州からフレアーとのダブルタイトルマッチを提案されて“辰っつぁん、行けるか?”って聞かれたのを覚えている。自分に取ってフレアーとの対戦、しかも舞台は東京ドーム。断る理由がなかった。“行かせてくれ”と即答した」

 当時は、橋本真也、武藤敬司、蝶野正洋の闘魂三銃士が台頭していた。それでも長州は東京ドームのメインを藤波に託した。

 「そこが長州の感性なんだね。三銃士は勢いがあるけど、まだ、その時じゃない。“ここは藤波辰爾なんだ”って言ってくれた。彼とは、反逆されて憎んだこともあった。ただライバルとして戦ったからこそ分かる部分があった。このころは僕も長州を認めていたし、そんな彼の言葉は素直にうれしかった」

 対戦するフレアーは、当時の全米トップレスラー。藤波は米国修業時代にフレアーと遭遇していた。

 「ノースカロライナで試合をしていた時にフレアーは若手の売り出し中の選手だった。そのころからメインを取っていて修業中の僕にはまぶしく映っていた」 フレアーは日本から来た若手の藤波にフランクに接してくれた。

 「控室でも声をかけてくれたり、試合を転戦する時も彼が運転する車で移動したり、バーベキューパーティーへ招待されたり、本当によくしてくれた。人間的にも素晴らしい男だった」

 若手時代にまぶしかったフレアーと東京ドームのメイン、しかもIWGPとNWAのダブル世界戦という最高の舞台が整った。しかし、試合は意外な方向へ進んでいった。(続く)

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