ツイッターで小説を投稿する匿名アカウント・麻布競馬場さん(31)にとって初の著書「この部屋から東京タワーは永遠に見えない」(集英社・税抜き1400円)。直撃インタビューの後編は、読者の心を鷲づかみにするディティールの取材法について、さらには31歳の「幸福論」を聞いてみました。(デジタル編集デスク・加藤弘士)
神は細部に宿る。今作が読者の心を激しくかき乱す要因の一つが、固有名詞のディティールまで行き届く神経の細やかさだ。非モテ慶大生同士の恋愛を描いた「30代まで独身だったら結婚しよ」には、序盤に「サークルはなんとなく律法会と三田祭実行委員会に入って」との記述がある。言語選択のセンスに血液が沸騰しそうになる。
かつて松任谷由実はラブソングを描くため、ファミレスで隣の席のカップルの話に耳をそばだてた-との都市伝説がある。麻布さんの「取材」はどう行われているのだろうか。
「一人で飲み屋さんに行くのが趣味で、フレンチにも焼き肉にも行きます。自分は親しみやすい雰囲気なので、だいたい横の人に話しかけられることが多いんです。横のカップルの話を聞くのが、凄く好きなんですよ。『この2人はどういう関係なんだろう』『どうやって知り合ったんだろう』と想像して遊ぶという趣味をずっと持っていたんですね」
慶大OBの麻布さんだが、早大OBを描いた「3年4組のみんなへ」には高田馬場の「わっしょい」や「だるま」といった都の西北感あふれる店名が登場し、リアリティーを醸成していく。
「学生時代もいろんな大学に友達がいたんです。社会人になってからも、その時の友達がいろんな会社に行ったので、あえて取材をしなくても、会話の中で『馬場で安い店といえばここ』『コロナ前の馬場は本当に凄かった』という話が出てくる。東大、一橋、早稲田、MARCHとかは友達がいたので、意図せずとも情報をリアルに持てていましたね。友達がポロッと言った、しょうもないことを本当によく覚えているんです」
早大文構カップルの出会いと別れを描いた「高円寺の若者たち」は実際、新宿ゴールデン街に通い、その「匂い」に触れまくった。
「担当編集者の稲葉さんに連れて行ってもらって、その時に冗談みたいに『ゴールデン街で書けたらいいですね』と話していたんです。その後、1か月ぐらいゴールデン街に通って、いろんな人を見たり、話したりして。さらに高円寺を歩いた経験を合わせて、書いた作品です」
同じ慶應の出身ではあるが、48歳の私と31歳の麻布さんとの決定的な違いは、学生時代のSNS体験の有無だ。本作ではSNSの冷酷さが無慈悲なほどリアルに描かれる。「Twitter文学」の旗手は、SNSとの向き合い方を、どう考えているのか。
「確かに僕らの青春時代はSNSの走りの時期なんです。高校生の時、東京でmixiが始まって。高3で受験が終わって、慶應に行くんだとなった時に始めて、事前に友達を作って学校で初めて会う、みたいな形でした。その後、ツイッターとFacebookが始まって。ツイッターは割と気楽で『日吉なう』『ラーメン食べてる』みたいな日常で良かったんですけど、Facebookは結構クセ者で。『ご報告』とか言って、『起業しました』『転職しました』『結婚しました』と、人生がうまくいっている報告場になったんですね、次第に」
麻布さんは一般的に「勝ち組」へカテゴライズされる立場に思えるが、それらを目にする自身の心境は、いささか違うものだった。
「学生の時から、『会社を創って何億もうけました』みたいな人を見ていると、『僕は何をしているんだろう』と思って、一時期Facebookを消したんですよ。見ていて、つらくなるから。実際はそこそこ楽しく暮らしていても、SNSがあると、凄い人がいっぱい入って来ちゃう。最近はそれがインスタなんでしょうし。自分が頑張って獲得したはずのものが、より凄いものが見えてきた時、急に無価値に思えちゃって。SNSの弊害だと思います。それをドバドバ浴びながら育ってきたのが、今の30歳ですね」
巷間言われる「若者のFacebook離れ」も、そこに原因があるという。
「アピールがダサいとなっている。最近の若い人って意識が高いから、一周してフツーに楽しく過ごせればいいと。家でシーシャを吸いながら、チルラップを聴いて、それが幸せですよ、みたいな」
そんな麻布さんにとっての「幸せ」とは、いったい何だろうか。
「『あきらめ』かなと最近、思うんです。例えばお金をすごく稼いでも、イーロン・マスクには勝てない。野球をどんなに頑張っても、大谷さんには勝てない。世界中に凄い才能があって、かつ努力をしていて、今この瞬間も眠らずに、仕事をしたり練習したりしている。僕らは何一つ勝てず、1位になれないと思うんです。せいぜい1位になれる瞬間は、模試の英語ぐらいしかない」
「1点でも上を取っていかなきゃという人生では、永遠に満足できない。タワマンの階数でも、上に行っても行っても上に人は住んでいるし、最上階に住んでも隣に新しいタワマンが建つじゃないですか。そんな自分を好きになって、寝る時や目覚める時に『幸せだなあ』って思えるのは、何かから『降りた』時だと思うんです。『週末の銭湯とサウナがあれば幸せなんだ』という『あきらめ』。自分への期待を捨てて、今の情けない自分を受け入れる…それをしない限りは、ずっと苦しいと思うんですよね、人間って」
人はそれでも生きていかねばならない、この東京砂漠で。肥大化した自意識や承認欲求と上手く折り合いをつけ、他者の厳しい眼差しとも闘いながら。一見、残酷そうな麻布さんの筆致だが、読後は人間というしょうもない生き物への愛に満ちていると感じてしまうのも、気のせいではないだろう。
秋の夜長、短くも濃い20の物語に浸りたい。できれば家族が寝静まった後に、一人きりで。孤独という名の親友と、語り合いつつ。