人はなぜ社会に出た後も模試のA判定を自慢するのか 初の著書が発売即重版 麻布競馬場さんに聞く【前編】

スポーツ報知
麻布競馬場さん(イラスト・岡村優太さん)

 「麻布競馬場、読んでる?」-。ある時期から社内で、同僚とそんな話をすることが多くなった。ツイッターで小説を投稿する匿名アカウント・麻布競馬場さん(31)にとって初の著書「この部屋から東京タワーは永遠に見えない」(集英社・税抜き1400円)が9月5日の発売即重版決定と話題になっている。なぜここまで人々の心に刺さりまくるのか。その謎に迫る直撃インタビューを、前後編でお届けします。(デジタル編集部デスク・加藤弘士)

 鋭い観察眼。様々な業界に精通した幅広い知識。そして何より原稿が巧い-。私は仮説を立てた。麻布競馬場さんの本職は、新聞記者か雑誌記者ではなかろうか。しかし、集英社の会議室をノックすると現れたのは、その手の稼業特有の「匂い」が一切しない、爽やかで知的な31歳のビジネスマン-。いわゆる「港区男子」だった。

 「フツーに働いています。きょうも仕事をしてから来ました。本を出したことは職場にも言っていないし、友達や親にも言ってないんです。集英社の人以外、誰も知らない。あ、でもマッチングアプリで2回ありました。『麻布競馬場さんですか?』『本、買いました』という声が。文体で何となく、そうかなと思ったって。『違います!』と逃げたんですけど(笑)」

 リズム感あふれる筆致にページをめくる手が止まらなくなる。やみつきにさせる文章力の根底には、幼少期からの豊富な読書体験がある。

 「実家に大きな書斎と本棚があったんですよ。祖父は読書家で、父も母もきょうだいもみんな本が好きだったので。本がズラーッと並んでいました。毎週土曜か日曜には家族で外食に行って、本屋さんに寄って1冊か2冊買ってもらえたんです。昔からいろんなジャンルの本…太宰治や大江健三郎が好きだったんですが、『Newton』という科学雑誌とか、当然マンガも読んでいたし。広いジャンルの文字に触れてきたところもあります。今もなるべくいろんなものを、読んだり見たりするようにしています」

 1991年生まれ。慶應義塾大学卒業。会社員-。公表されているプロフィールはこの3つだけだ。しかし本書を読んだ人は知りたくなるに違いない。切れ味の鋭い20の「Twitter文学」を描く男は一体、何者なのかと。

 手がかりは192ページの中に隠されている。私が読んだ感想だが、麻布さんが自身の経験を元に描いた文章の筆圧は、他と比類して明らかに強い。例えば地方の公立校出身者が慶應進学時に感じる、どうしようもない切なさ。私もそうだった。二十歳の頃、鶴見川に沈めたはずのドロドロとした感情が、読み進めるたびに甦る感覚に襲われた。

 「僕も地方の公立校出身です。地元で18年過ごして、東京という仮想敵が強くなり過ぎちゃって。東京を打ち倒すつもりで上京したのに、慶應に入ったらみんな東京が地元なので、本当に何も気にしていないんですよね。あの肩の力の抜け方、悔しいんですよ。何でオレ、こんなに必死にやっているんだろうと、それもダサいなと思って」

 本作には一般入試で大学に合格した登場人物が、指定校推薦やAO入試での入学組へ複雑な感情を抱く場面もある。

 「僕も一般入試で現役合格して、慶應に入りました。志望校は慶應か早稲田。国立も阪大に受かったんですが、大阪か東京ならば東京だよな、と家族会議で決定して。親は元々、『絶対に東京に行った方がいい』と言ってくれていたんです」

 「昔は地方と東京の文化格差も大きかった。僕は美術館が好きで、今でもよく行くんですが、子供の頃は毎年夏休みになると、親は僕に飛行機代を握らせて、『こことここの美術館は面白いから、行っておいで』と一種の文化留学みたいなこともしてくれた。田舎で視野を狭く暮らすのではなく、私立でも国立でもいいから、東京で人生の選択肢を広げてこいという、親の希望も強くて。それに背中を押してもらったんです」

 短編には社会人になってからも、「大学受験模試のA判定」を心の拠り所にしている者が出てくる。私の周囲にも数人いる。オレのことかと、感情を揺さぶられる人もいるに違いない。

 「何歳になってもいるんですよね。飲むと『センター試験で何点だった』みたいなことを言い続けるヤツって。元々やっぱり、自分も模試が好きだったんですよ。頭のいい子にとっての『ポケモン』だと思うんです。自分をいかに上手に育てるか。頑張りが評価されるし。成績上位者って、名前が載るんですよ。あれに載ると、抜群に気持ちいいんです」

 「でも模試で100点を取ったからって、人生が100点になるわけじゃない。人生が始まった瞬間の、まだ本番でもないところで、勝った気になる。そこをずっと誇りに思って生きることのダサさの象徴が、僕にとっては模試なんだと思います」

 入学後は日吉キャンパスに近い東横線沿線に住み、「東京」と対峙した。

 「典型的な大学デビュー組です。地元でも明るく社交的な性格だったんですが、東京に来てからは『え? 東京の人かと思った』と言われるのがめちゃくちゃ気持ちよくて。一生懸命、田舎の人に見られないよう、キョロキョロしながら生きてきました。鏡さえあれば、ワックスで固めた髪を気にするみたいな。自分なりに東京に順応して、できない人を見ると『努力が足りない』と思っていましたね」

 地方と東京の差異、光と影。憧憬と憎悪。心の奥では感じていても、あえて口にしたり、言葉にしたりしない「何か」を、麻布さんは絶妙に描いていく。

 「話に登場する地方出身者は、自分なのかなとも感じていて。ある意味では自分の人生を振り返って、昇華するためのセラピーだったと思っているんです。今、僕が感じている苦しみや劣等感、みじめさをもし『地元と東京』という軸で整理したら、どうなるのかなという『思考実験』の積み重ねが、この本なのかなと思っています」

 長渕剛が「とんぼ」で「死にたいくらいに憧れた花の都“大東京”」と歌ってから、実に34年。この本は令和の「とんぼ」である-とは言い過ぎだろうか。「とんぼ」をこよなく愛した清原和博さんにも、オススメしたい一冊である。(後編に続く)

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