【阪神】19年前に垣間見た糸井嘉男の決断 好きな球団か、必要とされる球団か…両方で愛された「幸せな」野球人生

スポーツ報知
引退会見で近大の後輩・佐藤輝明から花束を受け取る糸井嘉男(右)(カメラ・石田 順平)

 アマチュア野球を担当した2003年。関西エリアでの目玉選手が、MAX151キロを誇る大学屈指の快速右腕、近大・糸井嘉男投手だった。

 13日、19年の現役生活にピリオドを打ち、引退会見を行った。引退を最初に伝えた人は?という質問に「すべて決断というのは自分でしてきたので、自分の心の中で…。(胸に手を置き)リトル糸井です。パクリ?」と、サッカー・本田圭佑の言葉を引き合いに出して、笑わせた。

 糸井の19年前の「決断」に接した。宮津高時代は無名だった右腕は、持ち前の身体能力を生かして、関西の名門・近大で開花。大学4年春の関西学生リーグは5勝0敗、防御率0・72の好成績を残し、MVP、最多勝、ベストナインの3冠に選出された。

 11月のドラフト会議に向けて、翌年に北海道移転を控えていた日本ハムは早々に、逆指名制度の「自由獲得枠」での指名方針を固めた。糸井が「小さい頃からのファン」と公言していた阪神は、チーム事情から最大2人の同枠を早大・鳥谷敬内野手、愛知学院大の左腕・筒井和也投手で使う方針だった。その場合、糸井はよくて4位指名になる。

 6月に入ると、各球団のあいさつが始まった。当時の近大・榎本保監督は「好きな球団と行きたい球団は違う。本人は北海道を渋ってるみたいですが…」と明かしていた。家族を交えて、話し合いは続いた。そんな中、同月の全日本大学選手権(神宮)に出場。1回戦から九州共立大の右腕・馬原孝浩とのドラフト候補対決に注目が集まった。だが、「緊張? そこそこしてました」と振り返ったように1回2/3で7失点。0-14の5回コールド負けという結果に、榎本監督が進退伺を提出する事態に発展した。

 投手としてはまだ未完成。「スライダーがすごく切れる訳でもない。ただ球が速い投手。自由枠で評価してもらっているだけでもありがたい」という榎本監督ら周囲からは、さらに日本ハム入りの声が高まった。7月15日というリミットも設けられて、このまま決まると思ったら、そうもいかなかった。

 糸井の脳裏に残る甲子園での熱狂的な応援…。一方、選手育成に定評があるとはいえ、未知数の本拠地・札幌ドーム…。記者も、糸井に電話をかけて迷える心境を聞きながら、当時Jリーグでコンサドーレ札幌が熱心なファンで盛り上がっていた状況を伝えたことを記憶している。

 結局、糸井が決断したのはリミットから28日後の8月12日だった。「早い時期から高い評価をしていただいた。必要としてくれたチームに行ってみようと思いました」。プロ入り後は誰もが知るところ。大学当時からセンスを感じさせた打力を生かして野手転向。オリックスへのトレード、FAでの阪神移籍を経て、素晴らしい成績を残した。たまに見せる謎の発言、行動から「宇宙人」と呼ばれていた男が、「超人」としてあこがれの甲子園で拍手喝采を浴びた。

 41歳になった糸井は、この日の会見で「甲子園球場で初めてプレーさせてもらって胸が高鳴ったというか…。最後、そこで終われるというのは、僕の中で本当に幸せです」と素直な気持ちを明かした。日本ハム、オリックス、阪神で愛された19年。その“第一歩”に立ち会えたのは、記者にとっても忘れられない思い出だ。(2003年アマチュア野球担当・武田 泰淳)

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