「仕事の鬼」だった伊藤雄二元調教師…弟子・笹田調教師が明かす現役時代の秘話

スポーツ報知
8月に亡くなった伊藤雄二元調教師

 8月17日、JRA通算1153勝を挙げた伊藤雄二元調教師が85歳で亡くなった。ちょうどその日、開業前に伊藤雄厩舎に所属していた笹田調教師から、調教助手時代の思い出話を聞いたばかりだった。函館が大好きだった伊藤雄元調教師。ある年に、在厩馬全28頭を函館に滞在させたという。笹田師は「馬房を集めるのが大変だったんだよ」と苦笑いしながらも、どこか懐かしそうだった。

 昨年から競馬担当になった私は、もちろん直接お会いしたことはない。現役時代に親交があった先輩記者の話から、気さくな人柄を想像していた。伊藤雄二先生はどんな人でしたか、と笹田師に尋ねると、真逆の答えが返ってきた。

 「記者には気さくだったけど、俺らにはめちゃくちゃ厳しいよ。仕事の鬼」

 笹田師が、助手時代の日々を振り返ってくれた。伊藤雄元調教師は、完璧主義を徹底していた。15秒―15秒で、と指示された場合、0秒1でも時計が遅ければ叱られる。険しい表情で坂路の上がり口に立つ師匠を見て、馬上で肝を冷やした。

 厳しさが最もよく表れたのが、03年函館記念のエアエミネムの最終追い切りだ。その日栗東で調教を任された笹田師が仕事を終えて、函館にいる師匠に電話で報告すると「今から函館に来い!」と指令。「(函館にいた)エアエミネムの追い切りで失敗して、やり直すから」。理由を説明された笹田師はすぐに出発。翌日“2本目”の追い切りにまたがった。レース本番では、1番人気に応えて完勝。妥協を許さない姿勢が、勝利に結びついていた。

 スタッフにはレベルの高さを求めたが、伊藤雄元調教師のモットーの一つは「馬は大事に使え」だった。「常にきっちり仕上げて走ると、後が楽。中途半端で使うと、反動がきつい」。前哨戦でも、あえて緩めることはしない。一方、記者の取材に「70%の状態です」と答えて批判されたこともあった。しかし、実際は70%ではない。現時点では100%だが、次のレースでは今の限界を超えた状態まで上げる。したがって、後から見れば結果的に70%になる、という意味だった。

 たくさんの思い出話を聞かせてくれた後、笹田師が手に持っていた紙を見せてくれた。B5サイズほどの紙に、管理馬の馬名がずらり。調教のメニュー、騎乗者、実際のタイムが一覧できる表になっている。これは伊藤雄厩舎で使っていた用紙を引き継いだもの。かつては今ほどスケジュール管理が重視されていなかったというが、伊藤雄厩舎は違った。厩舎の壁に1か月間の予定を貼り、レースから逆算して調教。前述した用紙は、コピーしてスタッフ間でも共有した。現代では当たり前のことかもしれない。ツールもさらに進化しているだろう。それでも当時は珍しい取り組みだった。

 笹田師は、伊藤雄厩舎の調教助手を24年間務めた。シャダイカグラ、ウイニングチケット、ファインモーション、エアグルーヴ、ダイイチルビー…。一流トレーナーの弟子として名馬に携わった日々は、かけがえのないものだ。「全ての指示。ちょっとした注意、怒られたことも。その積み重ねが、大きいものになった。伊藤先生がいなかったら今の僕はいない」。名伯楽の教えは、今もずっと生きている。(中央競馬担当・水納 愛美)

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