福岡大時代に箱根駅伝2区区間賞&マラソン世界記録の重松森雄さんインタビュー「箱根から世界へ」を体現

スポーツ報知
100回大会予選会の全国参加可能を伝える紙面を手に笑顔を見せた重松さん

 第99回箱根駅伝の予選会(10月15日)まで約1か月。今回の予選会は例年通りに開催されるが、次回の第100回大会では参加資格が従来の「関東学生陸上競技連盟男子登録者」から「日本学生陸上競技連合男子登録者」に広がり、全国の大学が参加が可能になる。福岡大が招待出場した1964年大会本戦で2区区間賞を獲得し、翌65にはマラソンで世界記録をマークした重松森雄さん(82)がスポーツ報知のインタビューに応じ、当時の思い出を語った。そして、大会理念の「箱根から世界へ」を実現したレジェンドは全国の学生ランナーに熱いエールを送った。(取材・構成=竹内 達朗)

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 その年の10月にアジア初開催となる東京五輪を控えた1964年1月の箱根駅伝。当時、福岡大2年だった重松さんは歴史に残る快走を見せた。第40回記念大会で関西、九州それぞれでNO1だった立命大と福岡大が招待されオープン参加。エース区間の2区を任された重松さんは8位相当でタスキを受けると、この大会で6連覇を果たした中大のエース碓井哲雄さんら関東の強豪選手6人をゴボウ抜き。2位相当で戸塚中継所に飛び込んだ。現在(23・1キロ)より1・6キロ長い24・7キロを1時間13分52秒で走破し、従来の区間記録を4分21秒も更新した。

 「憧れの箱根駅伝を走れるということで気持ちが高ぶっていたし、調子も良かった。最初の5キロを14分11秒で通過したことをよく覚えています。当時、5000メートルの自己ベストが14分32秒だったから、オーバーペースですけど、最後まで走り切れましたね」

 1キロ2分59秒4ペース。今年の第98回箱根駅伝2区でも16位に相当し、当時としては異次元のスピードだった。福岡大と立命大はオープン参加のため、チーム成績は参考記録扱いだが、個人の区間成績は公式記録として認められており、箱根駅伝史に燦(さん)然と、その名を残す。ただ、大会当日は個人成績も参考記録という誤解があり、区間2位だった日大の高口徹さんが区間賞として表彰されたという。

 「実は高口さんは高校(福岡工)の先輩で尊敬している選手でした。その高口さんに『区間賞は重松君だ』と言っていただいだ。大会当日に表彰されることはなかったですけど、高口さんの言葉で十分に満足しました。それに今、公式記録としても区間賞として認めていただいているようなので何も言うことはありません」

 ちなみに高口さんは翌65年大会では最終10区を走り、圧倒的な区間新記録で正真正銘の区間賞を獲得。中大の7連覇を阻止し、日大7年ぶり優勝のゴールテープを切った。1960年代、すでに箱根駅伝は日本陸上界において大きな存在感を示していた。

 「確か1963年の夏頃に翌年の箱根駅伝に出場できることが決まった。ものすごくうれしかったですね。チームメート全員で練習に励みました。部長の楢崎正雄先生と金森勝也監督は『毎回、出られるような実績をつくろう』と意欲的でした。2区の私と5区の谷川英明君は12月上旬に一度、神奈川県まで行って、コースを下見しました。谷川君は帝京大で3回、箱根駅伝を走って今は東洋大でコーチを務めている谷川嘉朗君のお父さんです。本当に懐かしくて良き思い出ですね」

 重松さんが2区で2位相当まで押し上げた福岡大は3区で10位相当まで後退したが、4区でもうひとりのエースだった佐藤寿一さんが区間2位の好走で6位相当まで挽回。5区の谷川さんも踏ん張り、往路は6位相当と健闘した。復路でも8区まで6位相当と粘ったが、終盤は薄い選手層が響き、結局13位相当で終わった。大会最多の6連覇を果たした中大から38分20秒差を付けられたが、レース序盤に沿道を沸かせ、箱根路に「福岡大ここにあり」とアピールした。

 重松さんは不断の努力と強い意志を持って“花の2区区間賞”に輝き、さらに、その先の高みを目指した。福岡工3年時に全国高校総体5000メートル7位の逸材は卒業後、59年に地元の実業団の九電工に入社。61年には20歳にして熊日30キロで日本記録(1時間36分29秒)をマークした。

 「その頃から将来を考えて大学で勉強もしたくなりました。九電工の取締役でもあった陸上部の部長に相談すると『必ず課長以上にするから会社に残れ』と。『私が課長になる年齢の頃には部長は会社にいませんよね』と申し上げて3年目で退社しました。福岡大には陸上も学業もしっかりやりたいと強い覚悟で入学しましたね」

 箱根駅伝は1920年に「世界で通用する選手を育成する」という理念を掲げて創設された。新春のレースで最高の結果を残した重松さんは東京五輪マラソン代表を目指した。直後の2月に別府大分毎日マラソンに出場し、6位。同年4月に五輪本番と同じ東京・国立競技場発着、調布市折り返しのコースで行われた五輪代表最終選考会の毎日マラソンに挑んだ。当時23歳の大学3年生は32キロまで先頭集団に食らいついたが、そこで力尽きて5位。優勝した君原健二さん、2位の円谷幸吉さん、3位の寺沢徹さんが五輪代表に選出された。寺沢さんと円谷さんの差は50秒。距離にして約250メートルだった。

 「君原さん、円谷さんは同い年です。あの時、私は持てる力を出し切って5位でした。五輪本番では円谷さんが銅メダルで君原さんが8位。次のオリンピックには必ず代表になりたい、強く思いました」

 翌65年。福岡大4年になった重松さんは世界にサプライズを起こした。4月に伝統のボストンマラソンで優勝を果たした。

 「スタートからゴールまで楽でした。30キロ過ぎの『心臓破りの坂』もいつの間にか上り切っていました」

 快進撃はさらに続く。ボストン制覇から、わずか54日後。イギリスのウィンザーマラソンを2時間12分0秒で駆け抜けた。前年の東京五輪でアベベ・ビキラ(エチオピア)がつくった2時間12分11秒2の世界記録を更新した。

 「気持ち良く走っていましたけど、途中の距離表示がマイルだったので、どれくらいのペースで走っているか、よく分からなかった。ゴール後、記者が慌ててやって『世界記録です!』と言っても、なかなか信じられませんでしたね。帰国してから、博多のど真ん中でパレードがあって、ようやく実感が沸きました」

 66年に卒業。八幡製鉄(現日本製鉄)、鐘紡(現カネボウ)などから強い誘いを受ける中、クラレに入社。68年のメキシコ五輪を目指した。

 「クラレに入った頃から座骨神経痛に悩まされました。評判の良い治療院があると聞けば、どこにでも行きましたが、なかなか治らず、まともに練習できなかった。でも、五輪出場は最後まで諦めませんでした」

 68年4月。メキシコ五輪マラソン代表最終選考会のびわ湖毎日マラソンに不退転の決意で臨んだ。

 「30キロまで先頭集団で粘って、35キロ手前で後続を15メートルくらい引き離してトップに立ったんです。でも、36キロで宇佐美彰朗君に逆転された。食らいついて行こうとしたけど、もう体が動きませんでした」

 結果は代表に一歩、及ばず4位。五輪には縁がなく、71年に現役を引退したが、世界記録をマークした実績が色あせることはない。大会理念の「箱根から世界へ」を体現した重松さんは箱根駅伝に対して熱い思いを語る。

 「100回大会の箱根駅伝予選会に全国の大学が挑戦できることは素晴らしい取り組みです。ただ、私たちの時代よりもも今、関東勢と関東以外では実力差が大きい。一度の挑戦で本戦出場は難しいでしょう。地方の大学にとって10年かかりの挑戦になります。願わくば、101回大会以降も全国の大学が予選会に参加できるチャンスを設けていただきたい。それが競技人口の増加、日本長距離界の底上げにつながると思うのです。母校の福岡大も再び箱根路を駆けてほしい」

 長距離走、マラソンを志す、すべてのランナーに対し、レジェンドは熱く、深いエールを送る。

 「一時期、日本と世界の差は大きく開いてしまいましたが、今、また、少しずつ縮まっているように感じます。特に大迫傑君の走りには『世界と戦う』という強い意志を感じます。ケニアやエチオピアの選手は確かに強いですけど、日本人も強いです」

 現時点で男子マラソンで日本人最後の世界記録保持者は、いつの日か、自身に続く若者が誕生することを強く願っている。

 ◆重松 森雄(しげまつ・もりお)1940年6月21日、福岡・早良郡(現福岡市)生まれ。82歳。中学3年から陸上を始める。福岡工3年時に全国高校総体5000メートル8位。59年に九電工入社。62年に福岡大商学部入学。66年に卒業し、クラレ入社。マラソン優勝6回。71年に現役引退し、その後、岩田屋、サニックス、メモリードなどで監督を歴任。現在は日本スロージョギング協会の理事長などを務める。

 ◇箱根駅伝に出場した関東勢以外の大学・選手 関西大が3回出場(1928年9位、31年8位、32年8位)。64年に立命大と福岡大がオープン参加で招待出場し、それぞれ11位相当、13位相当。2004年に日本学連選抜がオープン参加し、徳山大、京産大、立命大、岡山大、北海道教育大大学院の選手が出場。20チーム中6位相当と健闘した。

 ◇第100回箱根駅伝予選会の戦況 昨年の全日本大学駅伝で関東勢以外で最上位の16位となった関学大、同2番目で17位の皇学館大、同3番目で18位の立命大、今年の全日本大学駅伝関西地区選考会をトップ通過した大経大などの挑戦が見込まれる。ただ、全日本で上位15校を全て占める関東勢と実力差は大きい。8区間106・8キロの全日本よりハーフマラソン(21・0975キロ)の10人合計タイムで争う箱根予選会ではさらに実力差は広がり、関東勢以外のチームが本戦出場権を獲得する可能性は低い。

 ◆お宝カードに手震え

 【取材後記】中学から大学まで駅伝・長距離走に取り組んでいた私にとって「重松森雄」と言えば教科書に載っている歴史的人物と同じ存在だった。今回、快く取材に応じてくれた重松さんは穏やかで腰の低い方だった。

 世界記録をマークしたウィンザーマラソンで実際につけた「118」のナンバーカードを物入れから取り出すと「どうぞ、手にしてください。紙なんですよ」と。

 歴史的なナンバーカードを前に私の手は震えた。それは大会理念の「箱根から世界へ」を成し遂げた証し。重松さんの取材は、箱根駅伝担当記者として意義深いものだった。(竹内 達朗)

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