フィギュアスケート女子で18年平昌五輪4位の宮原知子さん(24)が、現役選手と本音で語り合う「知子のRink.Linkトーク」は第3回目を迎え、初めての男子選手となる島田高志郎(21)=木下グループ=が登場。2回に分けて掲載し、第2弾の「下」では、ステファン・ランビエルコーチの存在や、海外生活についてトークする。(取材・構成=小林玲花、大谷翔太、取材日2022年8月17日)
―島田は15歳から元世界王者ステファン・ランビエル氏に指導を受けるため、単身スイスへ。出会っての一番の変化は?また、ランビエル氏とは親交の深い長い宮原さんも、その存在の大きさを語る。
島田「大げさかもしれないですけど、運命的な出会いというか。こんなにスケートに情熱を持っていて、人柄もすごく魅力的で、ずっと付いて行きたくなるような人に出会ったのは本当に初めてで。自分がスケートをやっていたのは、ステファンコーチに出会うためなんじゃないかと思えるぐらい素敵な人に出会えたなっていうことがあって。本当にステファンコーチに出会えたことで、自分の人生観やスケートに対する思い自体が変わった。それぐらい偉大な存在です。最初はお試しのつもりで、2週間ぐらいスイスに行こうと計画してたんですけど、なんかいつの間にか住み着いてたっていう(笑い)」
宮原さん「本当に高志郎くんと同じで、ステファンと一緒にいるだけで本当に楽しいし、学ぶものもたくさんあって、情熱しか感じないぐらい熱い方なんですけど(笑い)。私が初めて直接会ったのが、多分ジュニア合宿の時に講師として来られた時で、その時から振り付けをお願いする機会があったり、アイスショーで会うことがあったりして、今までずっと仲良くっていうか、色々教えていただく機会が続いているんですけど。一緒にいればいるほど、自分もスケートがもっと好きになって、違った新しい考え方とかも学ぶことができるし、本当にステファンと出会ってよかったなって思います」
―ステファンコーチと5年間一緒に過ごし、最も印象的だったことは?
島田「思い出を語ろうとするといくらでも出てくるんですけど(笑い)。もう本当に知子ちゃんも僕も、ステファンのことが大好きすぎて、お互い伝わるんですよ(笑い)。一つあった印象的な出来事は、自分がジュニアの頃にけがで悩んで、試合を棄権しちゃうとなった時。その時は気持ちのアップダウンも激しくて、前を向くのが少し難しくなっていた時期に、ギュッと何10秒ぐらいハグしていただいて。もう、すごいその時、じんわりきちゃったっていうのはあります。本当に情熱的で温かいサポートっていうものを常に受けている感じです」
―島田と同拠点には平昌、北京両五輪2大会連続メダリストの宇野昌磨や、五輪2大会連続出場のデニス・ヴァシリエフス(ラトビア)らがいる。
島田「(ステファンコーチは)みんなに100%以上の愛情を注いでくれている。みんなに均等に愛情があるからこそ、温かい練習環境もできている。その環境のおかげで、一緒に切磋琢磨して、時には楽しいだけじゃなくて、苦しい練習も、『一緒にプッシュしあってやっていこう!』っていうふうにもなっていたので。そういったところでも、すごくいい刺激を受けていました」
宮原さん「やっぱりコーチの存在って、すごく大事だなっていうのは思いますし、一緒に練習するチームメイトももちろん、本当に大切な存在なので。チームシャンペリー(=ステファンコーチのチーム名)を見てるだけでも、なんか自分も温かい気持ちになります」
―スイスを拠点にスケートを磨いてきた島田から成長を感じる部分は?
宮原さん「私も現役の頃は結構自分必死で、あんまり・・・(笑い)。他の選手のこと見れていなかったんですよね」
島田「黙々とずっと練習してたよね」
宮原さん「私は結構、自分しか見てないタイプなんですけど(笑い)。ショーとかでやっと他の選手の演技とかを見るようになって、なんとなく長年、同じ振り付け師さんとか同じ先生と一緒にいると、先生方の雰囲気が生徒に表れるっていうか、そういうのがちょっとあるんですけど、高志郎くんからもステファンらしい動きがいっぱい見られて、『ええ、すごい!』って思いました。特別、こういう振り付けっていうのではないんですけど、何もない、振りと振りの間の何もないちょっとした間がステファンでした」
島田「へえ~(笑い)」
宮原さん「なんか、背中って言うんですかね?なんか難しい。言葉にするのは、難しいんですけど・・・」
島田「いろんな方から『ステファンみたい』って言われる機会が少しずつ多くなりました。うれしいとも思いつつ、『ステファン生で見たら、もっとヤバイけどな~(笑い)』みたいな。ファンタジーオンアイスとか、生で知子ちゃんの演技もステファンの演技も見させていただいたんですけど、もう圧倒されちゃって。自分のコーチに涙しちゃう演技を見せていただいたんですけど。もうそれぐらい美しいですし、いつも心に響く演技ってものがステファンコーチの魅力だと思うので。『それにはまだまだ届かないなあ』っていうふうに見て改めて思いました。ショーの回数を増すごとに進化し続けているステファンがいるので、『コーチが進化しているのに、生徒が止まって良いわけない』みたいな。モチベーションにはつながります」
―宮原さんも平昌五輪後、カナダに拠点を移した経験がある。海外で、外国人コーチに習っていたからこそ、気付いたことや自分自身にプラスとなったことは?
宮原さん「海外はどちらかというと自主性を重んじるというか。私の場合、日本にいたときは、先生がいろいろ練習プランを組み立てて、『あれしなさい』『これしなさい』『トレーニングも今日はこれをやって』とかそういう感じで。でも、カナダに行ってからは、先生から『今日はどうする?』って聞かれるスタイルに変わりました。最初はすごく戸惑いましたし、良くも悪くも、ひたすらやるっていう練習ができたので、自分の調子に合わせて調整する大切さとか、自分の体調とか状態を知って、練習プランを組み立てるっていうことがすごく最初は難しかったんですけど、一番学んだ部分かなと思います」
島田「知子ちゃんと同じく、自分でやらなければならないっていう環境に置かれた感じはありますね。自分で考えて行動しなければならなくなったことは、すごく大きな変化だったなと思います。コミュニケーションの部分でも、やっぱり日本語と英語で伝え方のニュアンスが違ったりとか。僕だけの経験かもしれないですけど、英語の方が結構、人に伝えやすいというか、日本語だとちょっとシャイというか、意見をすることが億劫になってしまう自分がいたんですけど、英語だと『自分はこう思うんだけど、どう思う?』とか、コーチが主導としてやるのではなくて、二人で一緒に、築き上げて競技に向かっていくっていうことがすごく大きな変化だったなって思います」
宮原さん「あとは、結構何が起こっても動じずにやっていける力がついたかもしれないです(笑い)。想定外なことってよく海外で起こるので。特に一人で飛行機の移動をしたりとか、買い物に行ったりするだけでも、『ええ、そういうこと起こるの?』みたいなことって海外はよくあるんで。そういう時に焦る自分もいるけど『いやまあ、なんとかなるでしょ!』みたいな気持ちをちゃんと得ることができました」
島田「いい意味でも悪い意味でも、大雑把になりました。日本にいる時、今もまだ残っているかもしれないんですけど、すっごい神経質で。試合前は『これをしとかないと』とか、『これをしたら跳べるんじゃないか?』とか、普段の生活でも気を遣うっていうか、神経質な感じで。でも、海外に行ってから結構ルーズになりました(笑い)。知子ちゃんが言ったように『まあどうにかなるでしょう』みたいな(笑い)。ちょっと、自信とは違うんですけど、結構おおらかに物事を捉えることができるようになったかなというふうに思います」
―海外を拠点に進化を続ける島田。今季からは26年ミラノ・コルティナダンペッツォ五輪に向け、新たな1歩を踏み出していく。
島田「とにかく今、自分が出来ることを最大限やって、1試合1試合を大事にして、そこでいい演技を目指して、今練習をしています。今までは、遠い目標を見てやっていることが自分の中では主流だったんですけど、今は本当に毎日毎日を必死にというか、大事に生きて、大事に練習して、充実した時間を過ごすってことが今一番目標です。新たに4回転ルッツも練習していて、少しずつ安定はしてきています。1日1本2本降りることを目標にして、それを継続できたらなと思っています。まだ、どこかで見せられるか分からないですけど、自分の自信にもつながるので、挑戦し続けてはいきたいなと思います」
◆宮原 知子(みやはら・さとこ)1998年3月26日、京都府出身。24歳。関大卒。2011、12年全日本ジュニア優勝。15年世界選手権銀メダル。15、16年GPファイナル2位。16年2月の四大陸選手権で国際主要大会初優勝。全日本選手権は14~17年で4連覇。18年平昌五輪4位。21―22年シーズンを最後に現役引退。