高校球児は未来のファン 仙台育英Vに思う、聖地であることの尊さ

スポーツ報知
8月22日、東北勢初の全国制覇を果たした仙台育英ナイン

 仙台育英が固く閉ざされた扉を開き、今夏の甲子園は東北勢初の優勝で幕を閉じた。仙台に住んでいる身として、地元の盛り上がりは想像以上にすごい。地元テレビ局は特集番組を組み、学校とは一見関係がなさそうで本当に何の関係もないお店も優勝を祝う張り紙を貼り、優勝セールとして大売り出し。さまざまな形で喜びを表している。弊社発行の雑誌で、優勝決定時の写真が表紙の「報知高校野球9月号」は、須江航監督が「妻が、近くの本屋に買いにいったけどなかった、と言っていましたよ」と話すように売り切れが続出しているという。

 仙台育英の選手が躍動した甲子園。よく『聖地』という表現を使う。元々は宗教的要素が含まれているが、スポーツなどではその競技で全国大会などトップレベルの戦いが繰り返された歴史を持つ場所、プレーヤーが目指すべき場所として称される。高校スポーツでもサッカーなら国立競技場、ラグビーなら花園ラグビー場、という感じだ。

 これは全国の各都道府県にも当てはまる場所があると思う。私が担当する東北地区の高校野球に絞っても、岩手には花巻東・大谷翔平(現エンゼルス)や大船渡・佐々木朗希(現ロッテ)が力投した岩手県営球場があり、秋田のこまちスタジアムや山形の荘内銀行・日新製薬スタジアムやまがた、青森のはるか夢球場などは、プロ野球も開催されるようなところだ。それぞれの年代で、それぞれの思い出が刻まれていることだろう。

 さて、私が住んでいる宮城。かつて宮城球場と呼ばれ、現在はプロ野球・楽天の本拠地である楽天生命パーク宮城が、長年夏の宮城大会の舞台として使われてきた。記憶に残る多くの出来事がここで起きていたと思う。それがここ数年、変わってきているのだ。昨年、今年と2年連続で決勝は石巻市民球場で開催。以前は開幕試合や準決勝以降の試合なども組まれていたが、それも無くなった形だ。ここ2年に限定すれば、高校球児が球場に足を踏み入れられたのは開会式のみだった。

 人工芝から天然芝に変わり、芝生の養生期間などが必要となったことも理解できる。優先すべきはプロ野球の試合、ということもプロならば当然だろう。人事異動などで昔のことを知る人間が現場を離れたことも要因の一つかもしれない。

 それでも、考えてほしい。高校球児は、未来の大切なファンにならないだろうか。自身の思い出が詰まった場所に、仲間やパートナーや子供らを連れて戻ってくるはずだ、と考えられないだろうか。当時のチームメートと、「ここで一緒にプレーしたよな」と懐かしみ合い、「ここでヒット打ったんだよ」「あのマウンドで投げたんだよ」とパートナーに自慢し、楽天グッズを身につけた子供たちに、「●●選手がいる場所にパパも立ったことがあるんだよ」と話す。数年後、こんな場面がスタンドで起きる。そう想像することはできないだろうか。仙台育英の優勝がこんなにも多くの方々に喜ばれたのも、過去何度も甲子園の決勝の舞台ではね返されてきた歴史があったからこそ、ではないだろうか。

 そんな夢みたいなこと…、と笑う人もいるだろう。でも、宮城にプロ野球球団が来るなんて、それこそ夢のような話ではなかったか。その夢がかない、これだけ地元に根ざしたのならば、次の夢を見ることはそんなにおかしいことだろうか。簡単にいくことではないことも重々承知。でも声を上げなければ、動き出さなければ何も始まらない。関係者の皆さま、こんな考え方もありますよ、と頭の片隅にでも置いていただければ幸いです。(東北支局・有吉 広紀)

野球

NEWS読売・報知 モバイルGIANTS 個人向け写真販売 ボーイズリーグ写真 法人向け紙面・写真使用申請
×