アントニオ猪木氏に「会いたい!」が実現…昭和世代に刺さった3年ぶり有観客開催の「24時間テレビ」

スポーツ報知
「24時間テレビ」が収録された両国国技館に車いすに乗って登場。徳光和夫さんにマイクを向けられるアントニオ猪木氏

 まさに番組のテーマ「会いたい!」という言葉通りの昭和のスーパースターとの再会。その現在の姿に一抹の寂しさを感じつつも喜びの感情の方が勝る時間だった。

 今月27日から28日にかけて放送された日本テレビ系チャリティー番組「24時間テレビ45 愛は地球を救う」の視聴率が発表された。26時間24分間に渡って放送された大型番組の世帯平均視聴率は13・8%。個人視聴率も8・1%と1997年以降の26回中18位の数字(ビデオリサーチ調べ、関東地区)となった。

 今年は東京・両国国技館で3年ぶりの有観客開催。「会いたい!」をテーマに「嵐」二宮和也(39)、「KAT―TUN」(38)、「Hey!Say!JUMP」山田涼介(29)、「Sexy Zone」(27)がメインパーソナリティーを務めた。

 名物企画「チャリティーマラソン」のランナーに選ばれたお笑いコンビ「EXIT」兼近大樹(31)の熱い走りに注目が集まる中、私の胸をグサリと直撃したのが、28日午後4時過ぎ。両国国技館のステージで久しぶりの公の場登場となった、あの大物だった。

 二宮の押す車イスに乗ってステージに現れたのは、元プロレスラーで参院議員としても活躍したアントニオ猪木氏(79)。現在、数万人に1人が発症すると言われる難病・心アミロイドーシスの闘病中。2018年の発症以来、命の危機に何度もさらされつつ、自身の闘病の様子をYouTubeなどで発信。その様子は数々のテレビ番組で紹介され、大きな反響を呼んできた。

 久しぶりの再会に既に泣き出しそうな表情を浮かべた徳光和夫アナウンサー(81)にマイクを向けられると、「元気ですかー! 元気があれば何でもできる」と、いつも通りの言葉を発した猪木氏。

 総合司会の羽鳥慎一アナ(51)に現在の体調を聞かれると、「見た通りで、その日、その瞬間、必死に頑張ってます。本当はもう起きる状態じゃないんですが、皆さんにお会いすることで私も元気をもらいました」と答えた。

 「起きる状態じゃない」という言葉通り、レスラーとしての全盛期に190センチ、110キロの日本人離れした巨軀を誇ったスーパースターの体はやせ細り、肌にも張りが失われていた。

 徳光氏に「良く来てくれました。イラクも一緒に行きましたね」と言われると、「いろんな所に行った」とニッコリ。約5分間の自身の闘病生活のVTRを見とどけ、羽鳥アナに「久々の国技館になります。お気持ちは?」と聞かれると、「懐かしいというか。最近はこの辺りも来てなかったんで…。国技館が両国でなく、蔵前の時に私は完全に(試合に)負けたことがあります」と、1983年6月、蔵前国技館大会でのハルク・ホーガン戦での「舌出し失神事件」に触れて笑った。

 「いつも俺が元気を贈ったつもりですけど、今日は皆さんから元気をもらってます」と話し、もはや涙を隠さない徳光氏に「また、元気を下さい」と言われると、力強く「ありがとうございます」と答えた。

 久しぶりの生放送の地上波テレビ画面登場となった猪木氏のハイライトは、この後だった。

 羽鳥アナから「引退試合で披露したメッセージをお願いします」と98年4月、東京ドームでの引退試合に触れつつ依頼されると、「道 この道を行けば、どうなるものか。危ぶむなかれ。危ぶめば道はなし。踏み出せば、その一足が道となりその一足が道となる。迷わず行けよ。行けば分かるさ。行くぞー! 1、2、3、ダー!」―

 しっかりとした口調で話すと、右手を力強く上げて見せた。

 猪木氏にとって、両国国技館は数々の名勝負を繰り広げ、17年10月には自身の「生前葬」も行った思い出の場所。リングの上に置かれた棺を「なんで、こんなものが置かれているか分からないけどね」と笑いながらパンチ一発で破壊したシーンを覚えている人も多いのではないか。

 そんな場所に今、難病と闘う猪木氏が車イスに乗って帰ってきた。

 私は89年からの参院議員時代、社会部記者として毎月のように東京・永田町の参院議員会館に通って、猪木氏の話を聞いた。電撃的な北朝鮮訪問始め毀誉褒貶あった議員生活だったが、一言で言うと「会えば分かる」―。その抜群の行動力、カリスマ性に毎回、圧倒され続けた。同行したカメラマンと帰りの車中で毎回、「今回もすごいオーラだったな」とため息をつき、猪木氏が体中から発する熱のようなものを感じ、心の底から元気をもらい、なぜか前向きな気持ちになったのを昨日のことのように覚えている。

 そんな猪木氏が今、「いつも俺が元気を贈ったつもりですけど…」と、やせ細った姿でつぶやいたのは正直、ショックだったし、体調が心底、心配になった。

 だが、テレビ画面越しに見たファンの皆さんも気づいたとおり、その眼光の鋭さ、輝きだけは全く変わっていなかった。実際、そのエネルギッシュな動きは病床にあっても、いささかも衰えていない。1972年1月に創設した新日本プロレスが50周年のメモリアルイヤーを迎えた今年。猪木氏は今月、新たなマネジメント会社「株式会社 猪木元気工場(略名IGF)」まで立ち上げた。

 簡単に「難病がなんだ」なんて言うつもりはない。ただ、そのリング上での戦いに、参院議員としての行動力にあふれたオーラにずっと励まされ続けてきた「昭和世代」の1人として、こう言いたい。

 猪木氏の闘魂は病などに負けず、ずっと燃え続ける―。「会いたい!」をテーマにした「24時間テレビ」で久しぶりに再会した「燃える闘魂」の目の輝きは本物だ。まだまだ閉塞する日本を「元気」にしてくれる。私は、そう確信した。(記者コラム・中村 健吾)

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