「みんな、何かを隠そうとするから苦しいのよ」カルーセル麻紀が貫いた「自由な生き方」とは…インタビュー完全版

スポーツ報知
半生を振り返ったカルーセル麻紀(カメラ・宮崎 亮太)

  15歳でゲイボーイとして身を立て、夜の街と芸能界を華やかに渡り歩いてきたタレントのカルーセル麻紀(79)。自身をモデルにした直木賞作家・桜木紫乃さんの2部作の長編小説「緋の河」「孤蝶の城」(いずれも新潮社)で再び注目を集めている。LGBTという言葉もなかった70年代にモロッコでの性転換手術が話題になり、2004年には戸籍上でも正式に女性となったパイオニアは、差別や偏見とどう向き合ってきたのか。(高橋 誠司)

 「うん、ただ女になりたいって思ってただけよ。人になんと言われようと自分は自分だから。こんなちっちゃい体で、細くてさ。何もできないんだもの。アタシ、この世界がなかったら、どうやって生きてた?」

 真夏の日差しをカーテンで遮ったほの暗いリビングルームには世界各国で集めた調度品が並ぶ。ソファに浅く腰掛けたカルーセルは、背筋から指先までピンと伸ばし、紫煙をくゆらせた。10年前から足に血が通わなくなる下肢閉塞性動脈硬化症を患い、2年前には脳梗塞で倒れた。たばこは禁物のはずだが。「これからの楽しみって何?ってよく聞かれるんだけどね。たばこ吸うな、酒辞めろって言われても、人はどうせ死ぬんだから。私の病気は全部たばこが原因なんだけどね。でも、やめないです。こんなに元気なんだもん」

 同郷(北海道釧路市)の桜木さんが執筆した2作は、「この世にないもの」に生まれた主人公カーニバル真子が「自分の本物になる」までの半生が虚実ないまぜに描かれる。「紫乃さんには『いいわよ。その代わり、汚く書いてね』って言ったの。事実を並べただけなら自伝になるから、すごく苦労したみたいよ。子供の頃の話は誰にもしゃべってないんだけど、よく私の心の中をのぞいたように書けるわねって。読んでて小説なのか自分の人生なのか分かんなくなったわ」

 9人きょうだいの次男に生まれた。「自分が女だと気づいたのは物心ついたときから。なんでこんなモノ(男性器)ついてんだろうって」。小学校では男と女の「なりかけ」とからかわれたが、泣き寝入りはしない。「必ず番長みたいなのがいて、そういう男の子に守ってもらったの。大体いじめてきたのは女の方。最後は、卒業式のときにひっぱたいてやったわ」

 中学卒業後は美容師になると決めていたが、美輪明宏の映画や、同性愛者の若者が主人公の三島由紀夫の小説「禁色」に触れ、初めて「ゲイボーイ」の存在を知った。「こういう世界があるんだってビックリした。自分だけだと思ってたから。絶対東京でゲイボーイになると決めて、親にも黙って鈍行列車に乗ったら、隣の席のお兄さんが札幌にもゲイバーあるよって教えてくれたの。ベラミって店でマメコって名付けられて、入ったその日からショータイムで踊ってた。長男には『二度とうちの敷居をまたぐな』って言われたけど、腹の中では『二度と戻ってくるか!』って。自分の道はこれしかないと思ってたから」

 その後は東京の老舗「青江」など全国のゲイバーを転々。「青江のママに名前きかれたときに、なぜか、マキタトオルって答えたのね。じゃあ、おまえはマキだ!ってそこからずっと麻紀」。たどりついた大阪のショーパブ「カルーゼル」で「カルーセル麻紀」を名乗った。美貌を生かしたセクシーなダンスと男口調を交えた話術で、市川猿之助(現・猿翁)、藤山寛美さん、勝新太郎さんら芸能人の常連も増えていった。「猿之助さんには本当にかわいがってもらって、新橋演舞場の舞台のオーディションを女として受けたの。合格してから『すみません、私、男なんです』って言ったら大騒ぎになってね」「寛美さんには『あんた、きれいな顔してるけど、着てるもんは安もんやな。これで何か作りな』って50万円ですよ。娘の直美ちゃんとは今もすごい仲良くしてるんですけど、また彼女が子供のころ楽屋に行ったら『おねえちゃん、きれいやけど、声太いな』ですって」

 「11PM」(日本テレビ系)をきっかけにテレビにも進出するが「出演者にオカマって言われて本番中に帰ったり、テレビ局の社長にオカマは下ろせって言われたり。でも、バカにされても負けなかったね。テレビなんか仕事と思ってなかったし、私はステージで踊れればいいと思ってたから」。番組の東京制作では大橋巨泉さん、大阪制作は作家の藤本義一さんの司会のもと暴れまくった。「大阪は台本通り。巨泉さんは私が何でもしゃべっちゃうから面白がって、『麻紀がこんなこと言ってるけど、ウッシッシ』って。本番中に踊ってたら、ブラがずれておっぱい出ちゃって、カメラが急に天井に向いたりしてね。それからしばらく呼ばれなくなりましたけど」

 関西テレビの「ノックは無用」や「花の新婚! カンピューター作戦」では、横山ノックさん、上岡龍太郎さんとの掛け合いも人気を博した。「みんな、大阪出身と思ってたのか、空港からタクシーに乗ると、『麻紀ちゃん、お帰り!』って言われましたね。ノックちゃんとは番組終わったら麻雀やって、しっちゃかめっちゃか。上岡ちゃんは何回も東京に来ては失敗してたから、イレブンの後の『EXテレビ』って番組やるときに『麻紀、どうしたらいい?』って相談されて。当時ニューハーフブームで、全国からニューハーフ集めて『50人にききました』って企画をやって、それがうけてさ。全国のオカマが集まって、それはすごかったですよ」

 最も敬愛してきたのが、石原裕次郎さん。「初めて会ったのは銀座の店で、慎太郎さんと兄弟そろってオカマが嫌いだって聞いてたから席に行かなかったのね。そしたら『あ、カルセール麻紀だ』って。『なんで、客より遅く出勤してるんだ』って言うから、『裕次郎さんの影狩りって映画見てきたんです。裕次郎さんの映画に出たいわ』って言ったら、『明日、調布(日活撮影所)に来れるか』って。すぐ殺される役だったんだけど、台本変えてくれて、最後に殺されるくノ一になったの」。兄の石原慎太郎さんとも数々の思い出がある。「日劇でデビューした時に一番最初に私を認めてくれたのが慎太郎さんだったんです。大みそかに劇場に来てくれて、その後、踊り子全員連れて、浅草の仲見世を練り歩いたのよね。亡くなる直前、入院中の慎太郎さんと病院でバッタリ会ったら、『おまえも随分、ババアになったな』って言うから、『おまえもジジイじゃねえか』って」

 大阪時代から女性ホルモン注射や睾丸摘出手術で肉体は女性化していったが、パリで青江の姉妹店を任されることになり、フランスの歌手コクシネルがモロッコで性別適合手術をしたというニュースを知った。「もう、すばらしい美女で。私も完璧な女性の体を手に入れたいと思ったのね。150万円払ってカサブランカに行きました。病院では何も調べないで紙切れ1枚で手術室に入ったの」。3日間の麻酔から目を覚ますと患部は化膿し、高熱と激痛で死線をさまよった。「適当な医者で、大丈夫しか言わないから、自分で鏡を見ながら処置して、日本で凱旋公演あるからなんとか帰国したんけど。帰ったらマスコミには人造人間だのなんだのひどいこと書かれて。妖怪人間ベムで結構って開き直ったわよ」

 性同一性障害者特例法の施行を受けた04年に戸籍上でも女性となり、本名も平原徹男から平原麻紀となった。「私がやれば、女として生活してる人も男として生活してる人も楽になるかなと思って。記者会見やったら、みんな『やったー!』って喜んでくれた。この前も楽屋に『結婚できたのは麻紀さんのおかげだから』って人が来てくれたりね。こうやって世の中がオープンになったのは良かったわね」。その一方で、世間との折り合いがつけられず苦しむ人も数多くみてきた。「性別が変わって、自分が最初から女だったみたいに錯覚しちゃうのね。だから男にだまされたり、つらい思いをするの」

 「女になりたい」という思いを貫いてきた人生は闘いの連続だった。「バカにされたくないから、太ももに入れ墨入れたりね。どっかで強いところ見せなくちゃいけないから。だからヤクザに対しても『指の1本2本詰めてるからって、偉そうな顔すんじゃねえ。こっちはチ●ポ詰めてんだ!』って言ったら、ヤクザが笑っちゃったからね」。その自由な生き方には性別を問わず引きつけられる。「みんな、何かを隠そうとするから苦しいのよ」。さらっと発した一言に、パイオニアの強さがにじんだ。

 ◆カルーセル麻紀(かるーせる・まき)本名・平原麻紀。1942年11月26日、北海道釧路市生まれ。79歳。15歳からゲイバーに勤め始め、20歳で日劇ミュージックホールに出演。以降、タレントとして舞台、テレビ、映画

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