【ヒルマニア】エースのベーブ・ルースに「外野を守る気はないか?」…背景に第一次大戦激化と選手不足

スポーツ報知
レッドソックス時代の1918年にバットを振るベーブ・ルース(ゲッティ=共同)

◆米大リーグ アスレチックス1ー5エンゼルス(9日、オークランド・コロシアム)

 1918年、Rソックスでメジャー5年目を迎えたベーブ・ルースは16、17年と2年連続20勝したエース左腕だった。ただ、それまで代打出場はあったものの野手としての出場は皆無だった。

 だが、第1次世界大戦が激化し、大リーグにも徴兵の波が押し寄せ(当時は既婚者は徴兵免除=ルースも既婚)。各球団とも選手不足に苦しんでいた。エド・バロー監督はオープン戦で特大アーチを連発していたルースに「君は頑健で打撃のパワーもある。先発しない時に、外野を守る気はないか」と話すと、打撃が大好きだったルースは二つ返事で承諾した。

 5月4日に完投負けも1号アーチを打ったルースは6日から一塁でも出場し、当時としては珍しい3試合連続アーチ。しかし、20日から風邪で喉を痛め10試合欠場。実は俗にスペイン風邪と言われるインフルエンザで40度の高熱を出し、一時は本拠ボストンに「ルースが死んだ」といううわさが伝わるほどだった。

 しかし、まだ23歳だった彼は驚異的な回復力を見せてグラウンドに戻った。粗悪なボールの時代にもかかわらず6月2日から5日までには4戦連発。投げては8月8日に10勝目に達した。11本塁打(投手で出場の試合では2本)で止まったものの、初の本塁打王。97打数も多いチリー・ウォーカー外野手(アスレチックス)と同数だった。投打とも規定に達しなかったものの打率は3割、防御率は2・22だった。

 投手では通算94勝。そして2年後から野手専念で通算714本塁打まで伸ばした。大谷のスーパースターとしての長い道のりは始まったばかりだ。(ベースボール・アナリスト=蛭間豊章)

野球

NEWS読売・報知 モバイルGIANTS 個人向け写真販売 ボーイズリーグ写真 法人向け紙面・写真使用申請
×