三宅一生さん逝く 世界的ファッションデザイナー「普通の人々のために」「面白い服を」

スポーツ報知
肝細胞がんで亡くなった三宅一生さん(三宅デザイン事務所提供)

 「ISSEY MIYAKE(イッセイミヤケ)」ブランドで知られ、世界的に活躍した服飾デザイナーの三宅一生(みやけ・いっせい、本名・かずなる)さんが5日、肝細胞がんのため、都内の病院で死去していたことが9日、分かった。84歳だった。葬儀はすでに行った。故人の遺志により告別式やお別れの会は開かないという。

 一般の人々のための「面白い」服を追求し、ファッションの既成概念を破る服作りで知られた三宅さんが息を引き取った。

 「デザインは、社会の中で生きてこそ意味がある」。2010年秋にそう語っていた三宅さんの“原点”は、多摩美大を卒業後に渡ったフランスにあった。オートクチュール(高級注文服)を学んでいたが、現地で1968年に起きた反体制運動「五月革命」を目の当たりに。多くの市民が立ち上がる姿を見て、「そんな普通の人々のための衣服が必要だ」と感じたという。

 その後は、日本の伝統文化をアピールしながら、洋の東西を問わない斬新なアイデアを打ち出し、衣服と人体との関係を「一枚の布」を通じて追求。芸術的にレベルの高い作品を次々世に送り出した。中でも、布地をひだ状に加工したポリエステル素材のブランド「プリーツプリーズ」は高い評価を得た。

 92年のバルセロナ五輪では、ソ連から独立して初参加したリトアニア選手団の公式ユニホームを担当。99年に「イッセイミヤケ」のデザイナーを後進に譲った。

 その後も新規プロジェクトに積極的に取り組むなど意欲は衰えず。東日本大震災後は、東北地方の服飾関連の伝統技術などに光を当てる企画展を開催し、「日本の財産を消してはならない」との思いを発信した。12年末のシンポジウムでは「デザインの力で、何かを起こしていけるという思いが強くある。希望があって楽しいことだ」とデザインの可能性を信じ続けた。

 7歳の時に、広島で被爆。「原爆生存者のデザイナー」とのレッテルを貼られるのが嫌で、「ヒロシマ」に関する質問は避け続けた。だが、「世界から核兵器をなくすためには、原爆体験を語っていかなければならないと気付いた」と、09年に米ニューヨーク・タイムズ紙に原爆体験記を寄稿。長年の沈黙を破った。

 「赤い閃(せん)光を放ち、直後に黒い雲が上がり、人々が逃げ惑った」とつづり、当時のオバマ米大統領に広島訪問を呼び掛けた。16年にオバマ氏が現職の米大統領として初めて広島を訪れた際には、事務所がデザインした腕時計と万年筆を贈っていた。

 ◆三宅 一生(みやけ・いっせい)1938年4月22日、広島市出身。多摩美大卒。70年、三宅デザイン事務所を設立し、71年にブランド「イッセイミヤケ」を設立し、米ニューヨークでコレクションを発表。73年、パリコレクションに初参加した。98年、文化功労者。99年、ブランドデザイナーを滝沢直己に譲り、2007年に退任。10年、文化勲章受章。16年、仏レジオンドヌール勲章コマンドゥールを受賞。

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