市田ひろみさん 90歳で天国へ…京言葉で「ほんっと粗茶~粗茶~」90年代お茶CMで人気者

スポーツ報知

 1990年代にサントリーの緑茶のCMで全国的な人気者になり、和装文化の発信に尽力した服飾評論家の市田ひろみさんが1日午後5時50分、急性呼吸不全のため京都市内の病院で死去していたことが7日、分かった。90歳だった。葬儀は4日に、市田家の近親者のみで執り行った。市田さんは独身だったため、喪主は実弟の昌生(まさお)さんが務めた。

 市田さんの担当女性マネジャーによると、市田さんは昨年8月に自宅でカーペットに引っかかり股関節を骨折して入院。一人暮らしだったため、退院後は施設へ移り、リハビリに励んでいた。持病はなく、施設では元気に生活しており、「100歳までは生きたい」と笑顔で話していたという。

 マネジャーは「新型コロナの影響もあって、最近は施設で直接会うことはできませんでしたが、1か月前に電話したときもしっかりされていました。残念でなりません。ショックでまだ信じられないです」と心情を明かした。

 大阪市出身の市田さんは京都の堀川高、京都府立大女子短期大を卒業。大阪の会社に3年間勤務した後、大映の専属女優となり、58年に映画「手錠」で主演した。エキゾチックで個性的な顔立ちで「日本のソフィア・ローレン」とも呼ばれたが、7年で芸能界を引退。60年代から京都で美容室を経営した。65年に始めた学校形式の「着物教室」はその後、日本中に広まった。世界各国の民族衣装を収集。海外で着物ショーを開き、日本文化や和装の魅力を精力的に海外に発信した。

 全国的な人気者になったのは、93年から出演したサントリーの緑茶のCM。京言葉を用い「おいしかった? うちはしゅうとめが厳しいさかい。ほんっと粗茶~粗茶~」と和服で語る親しみやすいキャラクターで注目を集めた。1994年9月17日付のスポーツ報知のインタビュー「気になるCM主人公」では「CMで有名になってうれしかったんは、ライフワークにしてる世界の少数民族の服飾や民芸品の研究が分かってもらえたことやね」と喜んでいた。

 エッセイストとしても活躍。「市田ひろみがすすめる大人の京都 路歩き」などを出版し、京文化などを伝え続けた。市田さんはマネジャーとの最後の電話で「美容室のことも、いろいろ任せるからな」と伝えていたという。お別れの会の開催などについては未定となっている。

 ◆市田 ひろみ(いちだ・ひろみ)1932年7月10日、大阪府生まれ。小学校時代を上海で過ごす。京都・堀川高では砲丸、円盤投げでインターハイ出場。京都府立大女子短大卒業後、会社勤務を経て1956年に大映に入社。女優時代はバンプ役(男を迷わす妖しい魅力を持った女)が多く、63年に芸能界を引退。その後、実家の美容室を継ぎ、日本和装師会会長、大谷女子大講師などを務める。

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